画面の中の奥の君

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 僕は教室の壁に身を寄せて腰を下ろした。耳をそばだてて教室内の様子を探る。聞こえてくる暴言の数々、それと物と物がぶつかる衝突音。時には、弾力のあるものを力一杯はたいているような音も聞こえる。はたく音が聞こえる度、謝罪の言葉が転がって、嘲笑たちがそれを廊下へと蹴飛ばしていく。  教師であるならば、大人であるならば。  今すぐに教室に飛び込んで、彼女を助けるべきなのだろう。現場が視認できなくとも、教室内で行われていることがいじめであることは、明白だ。誰だって、いじめは良くない、とそう言うのだから、普通の大人であるならば、きっと、いじめ現場に遭遇したらいじめられている人を助けに行くはず。  なんて。言葉だけの正義もいいとこだ。  そんな普通を語っている奴は、いじめの現場に遭遇したことも、いじめの標的にされたこともない奴に違いない。いじめられてみれば、分かる。  誰も助けになど来ない。  殴られても、大切なものを壊されても、辱めを受けても、第三者が介入してくることなど、ほとんどと言っていいほど、ないのだ。  学生時代の僕は、どうして誰も助けてくれないのだ、と他者を恨んだこともあったけれど、こうして第三者側になってみるとよく分かる。助けに行くという行為には、あまりにもメリットがない。  いじめている生徒を今だけ止めることが出来ても、今後止めるとは限らないし、下手をすれば、いじめの標的が自分に向けられる可能性も十分にある。子供にいじめられる大人、なんて構図は、昨今では珍しくもないだろう。SNSでの発言は、年齢など関係なく世間に影響を与えるし、そもそも現代社会は過保護なほどに子供を守っている。  教室内で女生徒が女生徒をいじめているとして、僕が間に入りいじめの邪魔をする。そうすることで恨みを買い、後日SNSであることないことを書かれ、教師生活は終了、挙句の果てには社会的に殺されることもあるだろう。  自分の将来のことを考えれば、ここは傍観しておくことが正しい選択だ。なあに、罪悪感など感じる必要はない。そうしている人間は、自分の他にもたくさんいるのだから。 ――――。  そう思うのだったら、さっさとこの場から去ればいいものを。自分の行動の矛盾に、気分が悪くなる。 「――いやっ!」  悲鳴に近い声。それに続いて、複数の女性の笑う声と、衣の擦れる音が聞こえて来た。  服を脱がされ、写真でも撮られているのだろうか。僕は、自分の過去を思い出しながら、教室内の光景を想像した。  聞こえてくる音が、もやのかかった想像をはっきりと形作っていき、次第に色味を帯びさせる。  鮮明になればなるほど、僕は顔を俯かせ、上げることが出来なかった。体育座りをして、誰もいない廊下で一人うずくまって、隠していく。  もしも。死んでもいい人間が世の中にいるのだとしたら、僕もそこに該当するに違いない。  高校生なんて子供だ。  その認識は、今でもある。教師となった動機も、誰かを導く人になりたい、なんてくだらない妄想であるし、不純な動機などではない。  けれど。異性は異性だった。  思考や行動から、まだ幼さを感じることが多々あるけれど、現代の子供の発育の良さは、いくら目を背けても、向き合わないわけにはいかない。教師という立場上、彼女たちの身体は、何度も目に入り込んでくる。    邪な目で、見てなどいない。何度も何度も自分に言い聞かせて来た。言い聞かせないと、いけないような気がした。  何がいじめだ。何が助けるだ。何が大人だ。何が教師だ。  僕は熱くなっている下腹部を足で抑えつけながら、気付けば涙が零れていた。自分はどうしようもなく、愚かで、恥ずかしい。  どうしていじめらている彼女を助ける気もないくせに、この場所から離れず、聞き耳を立てているのか。  分かっているくせに分からない振りをしている自分に、苦笑いを向ける。今まさに教室内で行われているような展開を期待して、僕はここに座っていた。  耳を塞ごうとして、両手を耳に近づける。聞こえてくる途切れ途切れの声が、手の動きを止めてくる。脳内で自分を罵り、なんとか手を動かして耳を塞ぐことに成功したけれど、胸の鼓動は速く、息も荒くなっていた。この場から離れたい、強くそう思っているはずなのに、僕の身体は未だ動こうとはしなかった。  耳を塞ぎ、身体を縮こませながら体育座りをしてどれくらいの時間が経ったのか、ふと、横に気配を感じた。おそるおそる顔を上げ気配の先に視線を向けると、そこには三人の女生徒の姿があった。彼女たちの側の扉は開いていて、どうやらいじめをしていた女生徒たちのようだ。 「きも」  主犯格なのであろう金髪の少女は、僕に向けて一言投げ落とした。三人の視線が、容赦なく僕の尊厳を斬り裂き破壊していく。三人とも、当然僕の見知っている生徒たちである。名前もクラスも、分かる。  けれど、だからと言って、彼女たちがいじめをしていました、なんてことを誰かに言える気はしない。 「え、マジ!? あれ、勃ってない!?」  僕は慌てて足を閉じた。嘲笑が飛ぶ。パシャパシャと、カメラのシャッターを切る音が、耳に届く。  過去の映像がフラッシュバックしてくる。誰か助けてと、そう懇願したくなる。何を言う。知っているじゃないか。誰も助けになど来てくれない。 「――や、やめ」  自分で何とかしようとして声を出そうとして見たけれど、上手く言葉にならなかった。必死な僕の様相を見て彼女たちは満足したのか、笑いながら背を向けてその場を去って行く。  いじめていたことを報告するぞ!  なんて。いじめよりも非道なことをしていた僕が、言えるはずもない。    
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