序章./『フツー』という名の、定義

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 ・・・・・私は、不器用だ。  ひとつの学問ができるまでに時間を要し、その学が伸びたかと思えば、  苦手なほうは疎かになる。という、何とも両極端ぶり。  環境に馴染むのも下手、  喋ることも苦手、すぐにテンパる、おまけに自分のコンプレックスばかり  目につく、負のスパイラルのオンパレード。  ・・・・それが、主な思春期時代の私、だったんじゃないか。  今、思い返せば、努力の塊。  それなりに、一生懸命に友だちをつくって、ようやく慣れて、  慣れてきた頃にはもう、一学年ランクが上がってクラスも変わり、  授業のスタイルも変貌する。  環境の変化というものは、  その都度、その都度、自分が適応していかなければならない  から仕方のないことだったのかも知れないけれども。  からだが幾つあっても足りない、  それでも踏ん張って、ひたすらに、目に見えない"上"を目指してきた。  …たぶん、今でこそ時代の所為(しょい)にできることも、  私たちの年代では、  ────…もっと言えば私より上の年代の時代を生きたひとたちは、  ひとつ、他人と違うことがあると周りに軽侮(けいぶ)され、  「弱さを言葉にすることは恥だ」と。  暗黙の了解が空気に流れていた過去が、少なからず  存在したと思う。  ・・・・・私が、  ・・・私で在るオリジナリティを、外野から、外堀から、塗り潰されていく、  恐怖。  視えない縛りとは、  至極、厄介だ。  そのレールを外れた瞬間、自分は、"この"世界から弾かれている?  本心を押し込め、  塗り替えていかなくてはならないのでは無いか?といった"何者か"が、  自分を追い詰め、周りの目をも巻き込んでいく。  ────…そんな解釈をし  今を生きる私は、  やはり、  『フツー』では無かったようだ
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