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「こんな辺境まで遥々お疲れ様です。非常事態につき、小汚い場所でお迎えする無礼をお許しください」  砂で汚れた野営用テントの中で、緊張した面持ちの士官がロナルドに敬礼する。補給を要請したものの、国一番の魔導の使い手本人が来るとは想定外だったのか、取り繕ったような仰々しい出迎えが北部軍庁舎から続いている。ロナルドは辟易して、軽く手を振った。 「ああ、そんなに堅くなる必要はない。戦場では礼儀など無用の長物だ」 「そう言わないでくださいよ。噂の《氷雨の王子》に会えるなんてって、皆浮かれてるんですから」  カチコチになる士官の後ろから、見覚えのある黒いおさげが顔を出した。 「! レベッカか、元気そうだな」 「隊長……いや、今はもう元隊長ですね。お元気そうで何よりです」  砂塵で汚れた顔をにっこりと喜色に染める元部下の登場で、胸を撫で下ろすロナルド。 「あ、今ホッとしましたよね? もー元隊長、相変わらず人見知りなんですねぇ。良かったですね、頼りになるレベッカちゃんがここにいてくれて」 「うるさいな! そういうレベッカこそ、その軽口は変わらないし、最前線にいるのに絶好調で、」  ――いや。  はた、とロナルドは気付く。  ピンピンしているように見える、が、少し細くなったように見える肢体に隈が色濃い顔。 「絶好調、なわけないよな。……大丈夫か?」 「ふふっ、そりゃね、半年もこんなとこいて救護担当してれば、救えない命や理不尽な状況ばっかですから、毎日快眠ってことにはなりませんよ」 「そうか……。苦労かけたな」 「なんで隊長が謝るんですか。軍に入隊した以上、避けて通れない道でしたよ。隊長ってば無愛想に見えて実は優しいんですから。エリーも言ってたなぁ」  エリー。その名にロナルドの心臓がぎりりと痛む。 「あの子どうしてます? 会いたいなぁ。隊長、連れてきてくれれば良かったのに。って事務官のエリーに戦地は酷か。あ、そうそう、なんでそもそも隊長御自ら来られたんですか? 回復担当なら他にも適任がいたでしょうに」  変わらぬレベッカのマシンガントークに思わず苦笑してから、ロナルドは心の中で「エリザベスが消えたことは、レベッカには言えないな」と呟いた。 「元、隊長な。その話もしたいから、少し案内を頼めないか?」 「魔導士から見て、不審な点?」  野営地を見て回りながら、ロナルドはレベッカに尋ねた。対してレベッカは黒い瞳を上に向けて、ううん、と唸る。 「苦戦してるとは聞いてましたけど、何か妙なことがあったとかはそんなに……。向こうに魔導士がいるとも聞いたことないですしね」 「だよな」  エリザベスが前線にいれば、風の魔導を使用しているはず。なら、彼女はここには来ていない。ひとまずその事実にロナルドは安堵の息を吐いた。 「あ、でも」  じゃり、と音を立てて、レベッカは何やら思い当たったように足を止めた。 「なんだ?」 「負傷してる魔導士たち、ほぼ全員、魔導具が破壊されてるんですよ。前の大戦にも出兵してる方によると、昔はそんな魔導具を狙うなんてことなかったから、敵方も魔導について詳しくなったのかもって」 「……なるほど」  安心したのも束の間、ロナルドのこめかみをぬるりと汗が伝った。 「でも、魔導具って打撃破壊なんかができないように各自工夫を凝らしてるはずですよね。そう簡単に壊せるものなのかなぁ。イワチェリーナ帝国が研究する科学なら、それもどうにかできちゃうもんなのかな?」 「どうだろうな」  既にロナルドの口内はカラカラに乾いていた。軍に所属している魔導士は、自分の研究成果や魔導の構成について軍に届け出る義務がある。その情報があれば、千差万別な魔導具であっても個々に対策を講じることも不可能ではない。  そして、補佐官として有能であったエリザベスを鑑みれば、情報を盗み出しつつもその痕跡を消し察知されないことも造作もなくできそうだ。  嫌な想像は打ち払えず、寧ろ、補強されてしまったか。  だとすれば、彼女に魔導についての知識を授けてしまった者として、その代償を支払う義務がロナルドにはある。鉄の味が滲むほどに唇を噛み、ロナルドは額をさすった。 「向こうが魔導について対策してきたというなら、その上を行く策を講じるのは俺の責務だろう。もちろん、回復魔導についても任務は果たす。が、さらに戦況を変えるためにレベッカも知恵を貸して欲しい。この戦争を一刻も早く終わらせるために」  ロナルドの言葉にレベッカは鋭く息を吸った。きゅっと唇を締め、直立する。 「喜んで」 「お呼びですか、ヴィクトル様」  跪き、頭を垂れた姿勢のままのエリザベス。その手はかすかに震えていて、彼女には止めようもなかった。この部屋に来るといつもそうだ。幼い頃から植え付けられた恐怖に支配され、ただただ怯えて命令を待つのみ。 「来たか、エリザベス」  感情の篭らない機械のような声。  この声に逆らうことなど、エリザベスはできない。エリザベスの絶対君主、それがイワチェリーナ帝国軍将軍・ヴィクトルだ。  筋骨隆々の大柄な体躯に一本の毛も生えない無骨な顔。それだけでも恐ろしい外見なのに、際立つのは目だ。銀灰色の瞳はギョロリと大きく、なのに光も灯らず喜びも悲しみも映さない。ひたすらに虚無を見据えている。  幾つもの戦いでその身体能力と冷徹な判断によって類稀なる戦績を上げ、また自身が育成した優秀な兵士を巧みに操り指揮官としても高い評価を得て帝国軍において元帥に次ぐ権力者まで上り詰めた。実質軍が主権を握るこの国においては、つまり、国の意思決定を下せる人物でもある。 「ミュンエルン王国と続いている戦だが、どうも上手くいっていないらしい。お前が進言した魔導具の破壊が途中からできなくなったことでな」  エリザベスの肩がピクリ、と神経質に動いた。 「――は、申し訳、ありません」  考えるより先に口が動く。  大して効きはしないが、謝罪することで少しでも罪を軽くする。もはやエリザベスの習性となっていた。たとえ、自身に落ち度はなくても、だ。  しかしその祈りも虚しく、エリザベスの頭に鋭い痛みが走る。ヴィクトルの大きな手がエリザベスの髪を乱暴に掴み、ぐいと顔を引き上げた。 「対策された、ということだ。お前のお粗末な破壊方法ではいとも簡単にな」 「――っ、申し訳、」 「口先だけの謝罪はいらない」  ヴィクトルの手はそのまま、エリザベスの頭を床に打ち捨てる。咄嗟に受け身を取るが、硬い床に強打された肩と腰は燃えるような痛みを覚え、エリザベスは「がっ」と息を吐く。 「少々ぬるま湯に浸かりすぎたな。立て」  激痛と畏怖で凍りつく体を叱りつけ、必死に立ち上がり、髪も乱れたままでエリザベスは気をつけの姿勢をとる。 「女で、しかも腕力もないとなれば軍人としては使えないお前を、魔導の才があるからと目をかけてきたがこれではな。皇帝も劣勢にお怒りだ。予定よりも少々早いが、魔道室の子らを投入することとした」 「え……お、お待ちください! まだあの子たちは魔導具を与えたばかりで……。それに歳も十八にも満たない子供で」  焦るエリザベスの頬をまた襲う鋭い痛み。ヴィクトルに叩かれ、エリザベスの体は横薙ぎに吹っ飛び、地面に崩れ落ちた。無様に這いつくばるエリザベスを見下ろし、乾いた瞳でヴィクトルは言い放つ。 「これは決定事項だ」  エリザベスは知っている。  ヴィクトルに何を言おうとも、自分の意見など聞き入れてもらえる余地などないことを。  エリザベスの脳裏を巡るのは、この半年、生活を共にした十四人の少年少女たち。若く、国のためにと意志に燃え、こんな自分のことを師匠と慕ってくれた。まだ成年にもなっていない彼ら彼女らをそんな――。 「でしたら、私も行きます」 「お前が?」  機械のような声に一筋、嘲笑のような響きが混ざる。しかしエリザベスの意志は揺らがない。無意識に左手のブレスレットに触れ、エリザベスはヴィクトルを見上げた。 「あの子らが戦力だと仰るのなら、私も戦力に違いないはずです」 「戦場だ。ミュンエルン王国に潜入した時よりも、よほど死ぬ危険は高い。非力なお前がわざわざ志願するのか」 「はい」  自らの命などどうなっても良い。元より、拾われた命だ。けれど、若い芽は摘ませない。エリザベスは強く誓った。あの子たちは、私が守る。  細い鼻腔から息を吐いて、ヴィクトルは押し黙った。しばらくして小さく頷く。 「よかろう。ならば往け、この世の地獄に」
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