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「わぁ、エリザベス様、さすがですね」  何もかもが吹き飛び、まっさらになった砂地を踏みしめてアリサが尊敬の眼差しをエリザベスに向ける。  しかし、エリザベスは答えられなかった。  見知った濃紺の軍服を着た者たちが点々と荒野に散らばる。ぴくりともせず、地に赤黒い液体を溢しながら。  ハァハァと呼気が荒くなり、指が小刻みに震える。歯の付け根もガタガタと鳴って、顎に響く。エリザベスは瞼を閉じ、強く念じた。  止まれ、止まれ。  わかっていたはずだ。  この魔導を人に向けて放てば、命を簡単に奪うものだということは。  出兵すれば、敵国の者を殺さねばいけないということは。  これが、戦争だ。  国を富ますために犠牲は仕方ない。そんな甘い考えは、眼前に広がる凄惨な光景を前にしては机上の空論で、エリザベスは自分の覚悟の甘さを思い知った。 「見てください。蛮国の奴ら、あんなに転がって。正義の鉄槌ですね!」  アリサが熱に浮かされたように青い目をキラキラさせる様が心底気持ち悪かった。皮肉なものね。エリザベスもかつては、ミュンエルン王国の軍人など民を苦しめる悪魔だと信じ切っていた。討つべき敵だと、彼らを滅するために自分を贄にするのだと使命感に燃えていたというのに。  けれど、エリザベスは知ってしまったから。  敵や悪魔も、自国に戻れば家族も友人もいて穏やかな生活を送る、自分と変わらない――いや、エリザベスよりも愛と慈しみに満ちた人間だということを。  それを私は……  ヒュンッ  その空気が擦れる微かな音は、苦悩に苛まれる中でも確かに聴こえた。 「っ!」  耳馴染みのある音に、エリザベスは意識するよりも早く左手を振りかざし、自分と少年兵少女兵らを囲むように風による防壁を張る。  瞬間、無数の氷の礫がエリザベスたちイワチェリーナ帝国軍に向かって降り注ぎ――エリザベスの生み出した向かい風によって跳ね返された。  風が巻き上げた砂塵がもうもうと立ち込め、氷の礫を放った人物の姿は見えない。  それでもエリザベスは確信していた。  どうして、こんな戦地の真っ只中に。どうして。  疑問は脳内を渦巻き、心臓はキリキリと痛むが、あの驚くほどに広範で精密で、そして美しい氷魔導を扱える人物など、一人しかいない。 「ロナルド……様」  砂と共にエリザベスが跳ね返した白い氷がパラパラと力なく落ちていく。その中から出でる長身痩躯は優美で、汚れなく輝いていて。 「こんな形で再会したくなかったよ、エリザベス」  ロナルドは、美麗な顔を切なく歪めていた。 「っ私も、です」  できることなら、二度と会いたくなかった。  だって、会ってしまえば、  エリザベスが右手に握ったナイフをロナルドの首元に向けるのと、ロナルドが右手に構えた氷の短剣をエリザベスの首に向かって振りかぶるのは、ほぼ同時だった。  ――貴方を殺さねばいけなくなるから。  チリリと感じる熱を互いにすんでのところで身を捻り躱わす。一呼吸置いて、ナイフと短剣がぶつかり火花を散らした。 「エリザベス様!」 「手を出してはダメ! 貴方たちが敵う相手じゃないわ!」  急所を狙う短剣をいなしながら、エリザベスは部下に叫んだ。事実、エリザベスが抑えるのに精一杯なのだ。武術も魔導も鍛え出して一年にも満たないひよっこ兵士たちが出てきても、足手まといにしかならない。  こちらからも狙いたいが、隙が見えない。向かいくる半透明な刀身を受けるだけしか、エリザベスには手がない。  ならば、立て直すしかないか。  キンッと耳障りな金属音を立て、二人は離れ、ジリジリと睨み合う。 「体術もできるなんて。魔導だけの方ではなかったんですね」 「そっちもな。元から軍人だったか。道理で体力があるわけだ」  軽口のふりをして、咄嗟の対応で乱れた心拍数を収めようとエリザベスは苦心する。悔しい。この半年、講師業をしながらも鍛錬を怠ったつもりはなかった。  だが、この短い斬り合いでエリザベスの息は上がっているが、ロナルドは顔色一つ変わっていない。体力の差もさながら、魔導の使用において効率化しているか否かも多大に影響していそうだ。若いながら軍の要職に着く実力は伊達ではない。  今は五分の状態に見えるが、実力の差を考慮すると長引くほどエリザベスが不利な立場にある。早めにケリをつけたいが、どこから崩すか。  足元に旋風を起こし、死角から斬りかかろうとした。が、ロナルドの軍服に触れる直前、氷の刃がナイフを受け、反対にエリザベスの手元を狙い来る。  咄嗟に利き手を庇った左手首に、鋭い痛みが走った。 「っ!」  動揺したのか、ロナルドが無意識に一歩引く。その間にエリザベスも後方へ跳ねた。傷を一瞥すると、赤い鮮血が切創から滲み、ブレスレットを汚していた。  痛みから意識を逸らすために、エリザベスは口を動かす。 「甘いですね、とどめを刺さないなんて」 「っ、そうでもないさ」  ロナルドが左手を振ると、エリザベスの足元に冷気が這い回る。瞬く間にその霜は分厚い氷へと形を変えて、エリザベスの下半身を捕らえようと牙を向いた。 「――くっ」  足元に群がる氷結を蹴破り、転がるように冷気から逃れる。が、ロナルドの氷は諦めずにエリザベスを追い続ける。  そうか、距離を取ると氷の魔導の得意範疇になるのか。ならば、  もつれる足を無理やりに回転させて、エリザベスはロナルドの方へ蛇行しながら駆ける。 「ふ、正解だ、エリザベス」  ロナルドは左手の動きを変える。途端、エリザベスを白蛇のごとく追尾していた霜は霧散し、小さな氷の礫が行手を阻んだ。  周囲を氷結させる魔導は、遠距離では有効だが近接となるとロナルド自身も巻き込まれる可能性が高い。だからロナルドはその厄介な攻撃を止め、エリザベスにも馴染みの深い氷の礫に切り替えたのだろう。となれば、やはり接近するのが吉。  視界を塞ぐ氷を魔導で生み出した風で薙ぎ払い、エリザベスはそのまま風の刃をロナルドの半身に振りかざす。 「おっと」  ロナルドは片眉を動かし、モーションも僅かに風刃を薄氷で受けた。パリンと軽い音を立てて脆い盾は崩れ去るが、微かな猶予の間にロナルドは身を翻し斬撃を躱わす。  勢い余ったエリザベスは、前転して風刃を散らす。しかし油断なく、腰からナイフを抜いて構えた。身に受けた衝撃が左手首の傷に響き、ズキズキとまた痛み出す。  近接しかない。が、こちらも手負いで思い切った攻撃もできない。どうするか……。  ――やめて。  冷静に分析する傍ら、エリザベスにはうっすらとわかっていることがあった。  頭の片隅、その小さな部分から声が絶えず上がっている。  嫌だ。  嫌だ。  殺したくない、傷付けたくない。  ロナルド様を殺したくない。  無理矢理に押し殺そうとしても、無視できないほどに叫んでいる。  その声で動きが、考えが、鈍る。 「――っつ」  エリザベスの顔を生温い水滴が撫でた。  それが涙だということに気付いた時、ついにエリザベスは足を止めてしまった。  無理だ。  私には、無理だ。 「ロナルド様」  小さく呟いたその名は、エリザベスにとって大切で温かな思い出を与えてくれた、かけがえのない人物の名なのだ。  殺せるはずが、ない。 「貴方に殺されるなら、本望です」  両目からとどめなく溢れる涙を拭くこともせず、エリザベスは微笑む。構えていた右手はだらりと下がり、無防備にその身をさらした。 「エリ、ザベス……」  ロナルドの動きが瞬間、止まる。この時、エリザベスとロナルドの間だけまるで、時間が停止したかのようだった。 「エリザベス様ァァァァ!!」  甲高い叫びが凍った時を割いた。  アリサが絶叫しながら、手にした小型銃の引き金を引いていた。敬愛する師匠の身を守らんと、敵の心臓に向けて。  黒金の弾丸がまっすぐにロナルドの命を刈るために飛ぶ。エリザベスの脳内で何かが弾け、考えるより先に足が動いた。  焼けるような痛みが腹を貫き――エリザベスの視界は赤く染まり、暗転した。
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