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「此度の働き、ご苦労であったなロナルド」  ミュンエルン王国王宮内、謁見の間。  ロナルドは毛足の長い絨毯に片膝をつき、遥かなる上段から降る王の声に応じた。 「勿体なきお言葉です。陛下」  齢二十歳の若き王は、側近たちから何やら耳打ちされながら、ロナルドを睥睨し続けた。 「王都の衛りを放棄して戦地に赴いたと聞いた時には怒りに震えたが、鬼神の如き戦いで憎きあの帝国を降伏させてしまうとは。いやはや、其方の力を見誤っていたかもしれんな」 「こんなことなら初めからロナルドを投入すれば良かったですな、陛下。七ヶ月という短期決戦とはなりましたが、我が軍が受けた損失も並大抵ではない。特に、ロナルドの下に一時期いたという女スパイから魔導の情報が漏洩してしまったというのは、いやはや……」 「そこまでにしてやれ、元帥」  跪くロナルドの脇で仁王立つミュンエルン王国軍最高責任者である元帥ラザフォード。数々の戦争で名を上げこの地位まで上り詰めた者らしく、屈強な体を備えた老年の元帥は、失態を犯した部下に鋭い眼を飛ばしていた。 「自身で女スパイを始末し、その教えを受けた未成年魔導士も全員捕虜にしたんだ。此度の功績と合わせれば、罰するほどのことでもない。それよりも重要なのは賠償金だ。和平交渉の方はどうなっている?」 「は。中立国において使者を送っておりますが、何分イワチェリーナ帝国は貧しく、大した額は期待できないかと……」  側近の答えにイライラしたように王は舌打ちした。 「恐怖政治しか脳がないあの国じゃ、民も栄えないということか。腹立たしいな。我が国が費やした金額は回収できるんだろうな?」 「それは必ず。皇帝の命と天秤にかけさせ、絞れるところまで搾り取ります」 「いっそ皇帝一族を処刑してはどうか? 帝国軍に処刑の恐怖を突きつけ、早急に金を支払わせれば、」 「お待ちください、陛下! 無為に命を奪っては、更なる禍根を残すだけです! どうかご慈悲を」  ロナルドが慌てて叫ぶと、周囲から冷たい視線が刺す。 「王に向かって……慎め!」  ラザフォードが嗄れた声で檄を飛ばす。「まあ、善い」と鷹揚に制して、王はため息をついた。 「冗談も通じんとはつまらん男だな、ロナルド。もう行け」 「はっ」  やっと解放されたか。  謁見の間から続く廊下を早足で歩きながら、ロナルドは長いため息をついた。  戦場に行きもせず、金勘定とは。挙句、人の命をなんだと考えているのか、あのボンクラは。大戦の残した傷跡を直に目にして、復興のためにと教育施策に邁進した前王の息子とは思えない。  しかし口には出せない。不敬罪に問われ、たちまちお縄になるだろうから。せっかくスパイを引き入れた罪が不問に処されたところだというのに、そんなつまらないことで牢に繋がれたくはない。  と、胸の裡で呟き、ロナルドは虚しさに駆られた。  こんなことも以前までであれば、ネタ半分愚痴半分でジャックに溢せていたはずだ。しかし、信頼を寄せていた腐れ縁の副隊長は、もう自分の下にいない。レベッカも他の元隊員たちも戦後の雑務にかこつけ、ロナルドの元を去って行った。  誰もが受け入れられなかったのだ。  エリザベスが本当に敵国のスパイであったこと。彼女が持ち帰った情報のせいで、ミュンエルン王国軍の魔導士が大勢犠牲になったこと。そして戦地で相対したロナルドがエリザベスを……。  脳裏にフラッシュバックしたあの日の紅い光景を、ロナルドは必死に振り払う。何度も、何度も、思い出しては苦しくなる。  ロナルドだって元部下たちだって、全員わかっていた。  戦場で再び見えてしまえば、どちらかが倒れるまで決着はつかない。兵士として、ロナルドがエリザベスを手にかけたのは正しい判断だ。そして、仮に生きていて捕虜にしたとしても、エリザベスの諜報活動は糾弾されるもので極刑に値するだろうことも。  理屈は解していても、それでも気持ちが追いつかない。  だから皆、ロナルドから距離を置いた。賞賛も叱責もどちらも向けられない。ロナルドとどう接していいのかわからなくなってしまったから。  それはロナルド自身も同様だった。自分に対しての答えが出ない。  だから今日も、ロナルドはその答えを探しに向かうのだ。 「やあ、ご機嫌いかがかな」  王宮南翼地下に広がる座敷牢。檻の格子の先にいる少女は、ロナルドの訪問にぱっと身を躍らせた。 「ロナルドさん!」 「今日は差し入れに砂糖菓子を持ってきたよ。気に入ってくれるといいけど」 「ありがとうございますー! みんなー、ロナルドさんから差し入れー!」  アリサの呼びかけに、牢の中にいた囚われの少年少女は口々に歓喜の声を上げ、アリサが抱えた紙袋に駆け寄る。 「いつもありがとうございます」  年長者らしく、元魔導対策室を代表することも多いアリサ。この金髪三つ編みの可愛らしい少女がこうしてロナルドに打ち解けてきたのは、つい最近のことだった。 「いや、君たちに与えてしまった苦しみに比べたらこれくらい。どうだい、傷の具合は」  頰いっぱいに菓子を詰めながら、アリサはきょとんと目を丸くした。 「傷って。私たちを拘束する時にロナルドさんが使った氷による凍傷のことですか? すぐに治療してもらえたので、跡がわかるかどうかってくらいですよ」 「そうか。それなら良かった。……いや、良くはないな、すまん」 「そんな毎日謝らないでくださいよ。戦争だったんだから、敵国の軍人を攻撃するなんて当たり前のことです。私だって、」  そこでアリサは言葉を切る。菓子の欠片が付いた桃色の唇をわなわなと震わせて、俯いた。 「――そうだな。君も間違っちゃいなかった。戦争とはそういうものだ」  こくっと口内の菓子を嚥下して、アリサは手首に残る凍傷を指でついとなぞった。それはまさしくロナルドが付けたものだった。  ロナルドがアリサたちイワチェリーナ帝国軍魔導対策室の子供たちを氷漬けにして拘束し、捕虜としてミュンエルン王国に連れ帰った後、彼らは恐ろしく抵抗した。  悪名高いミュンエルン王国の者に捕まったとあっては、死んだ方がマシだと思えるほど辛く惨たらしい目に遭わされると本気で信じていたのだ。映えある祖国のために敵諸共誉ある死を、と目を血走らせていた。 「どうして」  何度も地下牢に通い詰めるロナルドにある日、アリサは問うた。 「どうして、私たちを殺さなかったのですか?」 「殺して欲しかったのか? それとも拷問して欲しかったか? 祖国で聞いてきたように」  アリサははっと息を呑み、ゆっくりと首を横に振った。 「悪いな、俺は君たちが祖国で教えられていたような血に飢えた化け物じゃないんだ。無駄な殺生は好まないし、何より君たちと話がしたい。わかり合うために」  アリサは迷いをその清らかな瞳に浮かべて、それでもポツポツと口を開き始めた。 「自分が正義だと思って向けた銃口の先にいたのは、悪魔でもなんでもなく、同じ人間だったなんて。私たちと同じように愛する家族や友人がいて、祖国を守らんために戦ってるだけの人たちだったなんて……知りたくなかった」  懐古に浸っていたロナルドは、アリサの呟きで現実に引き戻された。 「そうだな」  この戦争で多くの敵兵を屠ったロナルドには、その苦しみが心から理解できる。敵が邪悪な者だと、世に害なす者だと思えれば、どれだけ良かったか。自らの殺戮行為を寧ろ英雄的行いであると誇れれば、どれだけ良かったか。  しかし、実際はそうではない。戦争という大義名分を国が冠しただけで、ロナルドの行為もアリサの行為も、否、戦地で敵と相対した者の行為はすべて暴力で殺人だ。  そうでないと謀っていたイワチェリーナ帝国の教育は、だから兵士に命を奪う覚悟なく武器を授けたことに他ならず、ロナルドからしたら軽蔑と嫌悪が止まないものだった。 「ロナルドさんと少し話しただけの私でもそう思うのだから、長くこの国にいたエリザベス様は、どれだけ悩んでたのでしょうね」 「なぁ、エリザベスはどんな人物だったんだ? 俺は、俺たちは彼女のことを何も知らないんだ」  アリサは口許を指の背で拭い、しばらく考えていた。 「私もそんなに一緒にはいませんでしたけど、」  そう前置きして、少女は語り出す。  エリザベスの生い立ち。彼女に魔導の才を見出し、軍事スパイに育て上げた将軍・ヴィクトルとの関係。イワチェリーナ帝国軍内での辛い仕打ち。  ロナルドは頭を抱えた。  優秀な女性だと思っていた。真面目で、自分にも周りにも厳しくて。ーーしかし、その根源がこれほどに孤独で耐え難い環境に晒されていたとは。 「それでもエリザベス様は、優しく私たちのことを指導してくださいました。今回の出兵だって、私たちを守るためにって」 「……え?」 「言ってたんです。潜入していた国と戦うなんて、よっぽどミュンエルン王国で酷い目に遭ったんですね。私もエリザベス様を傷付けた国に直接復讐できるのが嬉しいですって言ったら、『あの国に恨みはないし、誰も殺したくなんかない。だけど、貴方たちを死なせないために行く』と」  アリサは長い睫毛を震わせて、自嘲気味に笑った。 「ミュンエルン王国軍は人ならざる悪意の塊なんだって信じ切ってた私は、意味がわからなかったんです。ほんと、愚かですよね。エリザベス様がどれほど苦しんだかなど知らずに」 「エリザベスは……苦しんでいたのか?」 「ええ、おそらく。だって、エリザベス様、よく寝言で謝ってましたよ。『申し訳ありません、ロナルド様』と」  衝撃に打たれ固まるロナルドに、アリサは少し首を傾けて見せた。 「きっとずっと、ロナルドさんのことが忘れられなかったんですね、エリザベス様は」  まとわりつくような疲労を引きずって、ロナルドは自宅アパートの階段を上がっていた。  日はとうに暮れ、宵闇の冷たい風がロナルドの身を刺す。季節は二月。春はまだ遠い。  ギッと錆びた音を立て、ドアノブを回すとようやく自宅に辿り着く。宿直を経たので、帰ってきたのは二日ぶりだ。  アリサの話もあって、思考が散らばってまとまらない。自分のしたことの正否が堂々巡って、動きを鈍くする。 「ただいま」  それでも、ロナルドの重い足は歩みを止めない。灯りもない帷の下りた室内。その中で白く瞬く、氷の花の元へ。 「君のことがわからないよ、エリザベス」  ロナルドの手がスノードロップの下に横たわる頰に触れる。その時、固く閉じられていた瞼が薄く開き――鳶色の瞳がぼんやりとロナルドを捉えた。
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