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「エリザベスっ!? 目を覚ましたのか!?」 「ここ、は……っつ」  体を起こそうとして、全身を襲う刺すような痛みにエリザベスは息を詰まらせる。感じたことのない激痛に、歯の隙間からは呻き声が漏れ、眩暈で力が入らなかった。 「無理をするな。君は腹部に被弾して、まだ回復している途中なんだ」 「あ……」  ゆっくりと、意識が途切れる前の記憶が蘇る。エリザベスは戦場でロナルドと再会し、斬り合い、しかし命を諦め――エリザベスを援護するためにとアリサがロナルドに向けて放った銃弾を、彼を庇う形でその身に受けた。  と、いうことは、自らの体に幾数も咲くスノードロップは、ロナルドがエリザベスの治療のために使っているものだろう。しかし、この見慣れない部屋。そして敵であるロナルドがエリザベスを治療しているという状況。場所も時間も、エリザベスにはわからないことばかりだった。 「何が……あったんですか?」  優しい手つきでエリザベスをベッドに横たえたロナルドは、エリザベスの問いかけに困ったように額をかいた。 「何から話せば良いのか」 「つまり――ロナルド様の獅子奮迅の活躍により、ミュンエルン王国の勝利で戦争は終結。魔導対策室の子らは全員虜囚となり、私は公的には戦死したことになっている、と。しかし実態は」 「俺が凍結した上で秘密裏に連れ帰り、俺の家で治療していた。もっとも、意識を取り戻すかは正直賭けだったが……良かったよ」  ロナルドは小さく頷きながら、安堵の息を吐く。エリザベスは仰向けで天井を見つめ「そうでしたか」と目を瞬かせた。 「何故、こんな危険な真似をしてまで、私を助けたのですか? もうご存知でしょうが、私は貴方を欺き陥れた敵国のスパイなんですよ。貴方やジャック様、他にも多くの方と平然と仕事をしながら、軍が保有していた魔導の情報をイワチェリーナ帝国に送ってたのですよ」  自らから発せられた冷たい声音に、エリザベスも驚く。本来は命を救ってもらった礼を言うべき場面かもしれない。が、エリザベスは許せなかった。 「さらには自ら戦地に赴き、貴方から授かった魔導具で多くのミュンエルン王国軍の兵を葬った」  エリザベスは無意識に左手首のブレスレットに触れた。白銀に輝いていたはずの金属は、血や土で汚れ、赤く黒い錆が幾筋も走っている。 「何故助けた、だと? そんなの、」 「私は助かりたくなどなかった」  ロナルドがはっと息を呑む。  エリザベスは両の手をかざして、顔を覆い隠した。 「優しくしてくれた人々を裏切り、傷付け、命を奪って――私はそんな最悪な人間なのです。生きる価値などない」  許せない。  自分自身が、自分自身の犯した罪が。  くぐもった声で、エリザベスは心の裡を吐露していく。  後悔しない日など一度もなかった。  どうしてエリザベスは、ヴィクトルが言うがままにミュンエルン王国の人々は悪魔だと信じて疑わなかったのか。実際に潜入して彼らの優しさを身をもって知ったというのに、機密情報をヴィクトルに送り続け、迎えを拒否できなかったのか。 「自分がしたことを悔やんでいるのか」 「………」  顔を覆ったまま、エリザベスは無言で首を縦に振った。 「そうか」  言い訳も、泣くことも、してはいけないと思った。強く噛み締めたエリザベスの唇には、一筋紅が滲んでいた。  重苦しい沈黙が支配する室内で、口火を切ったのはロナルドだった。 「ならばこそ、生きろ」  驚いてエリザベスが目を瞠ると、ロナルドは厳しい眼差しでエリザベスの手を取った。 「罪を背負って、その罪を次に生きる世代に負わせぬため、君こそが平和の贄となれ」 「私、が、」 「君がしたことは許されないことだ。罪は消えない。だからこそ、死して楽になるなどしてはいけない」  掌を包む強い力にエリザベスは顔を伏せた。 「そして、それは俺もアリサも、戦争に関わった人間は皆そうだ」 「アリサ……」 「彼女は君を殺したと思い込んでいる。けれど、遺された魔導室の子供たちを導くためにと、その苦しみを堪えて気丈に生きている」  あの子が。  いつもいつも、すぐにいなくなるエリザベスの行方を追いかけて小言を言って。それでもエリザベスの魔導に憧れて、熱心に指導を乞うていたあの少女が。  あの真面目なアリサのことだ。どれだけ自分を責めただろう。その気持ちを考えると、エリザベスの視界がじわりとぼやけた。 「君も彼女の師なら、残された生を平和に尽くすために全うしろ!」  蒼い瞳が静かに炎を灯している。  そうだ。確かにそうだ。  許されない罪を犯した。だからこそ、エリザベスは死んではならない。辛苦を舐め、眠れない夜を何度も繰り返して、生き抜かねばならない。 「――はい」  ロナルドの治療のお陰で、エリザベスの体調は日に日に回復していった。  勝ち戦の英雄で、軍上層部であるロナルドは忙しく、自室だというのにたまにしか帰宅しない。そんな主に代わり、掃除をし洗濯をし、帰宅の折には食事を作る。エリザベスは徐々にそうして、日常生活を送るようになった。 「そこまでしてくれなくて良い」  そう言ってロナルドは初め、奉仕を断ったが、「いえ、何もせずお世話になるなど申し訳なくて」とエリザベスが固辞したためロナルドが折れる形となった。  それに、動いていた方が気が紛れる。  ぼうっとしていると、自分のしたことの重さに潰されそうになる。  甲斐甲斐しいエリザベスに、ロナルドは戸惑っていたようだが、いつしかそのぎこちなくも凪いだ生活が普通になっていった。 「辛くはないか?」  そんな日々が続いて一月。深夜、帰宅したロナルドがエリザベスに尋ねた。 「辛い、と言いますと?」  意味がわからずエリザベスが首を傾げると、ロナルドはエリザベスが作った夜食を一口食べて額をかく。 「君は公式にはいない人間だから、外にも出られず窮屈じゃないか? 以前の知り合いに会いたいとか、もしそういうのがあるなら言ってくれれば」 「ああ、そういうことですか。……そうですね、ジャック様には一言謝りたいです。カーニバルに行く約束でしたのに、何も言わずにいなくなってしまってご迷惑をおかけしたかと思いますので」 「そうだな。確かに君が消えた時、ジャックはものすごく心配していたな」  エリザベスの瞼の裏に、あの犬のように人懐こい顔を悲しげに歪めているジャックが容易に浮かんだ。そうだろう。人の良い彼は、エリザベスがいなくなった時に純粋にその身を案じていたのだろう。 「そう、ですよね」 「ジャックに会いたいか? 君たちはその……交際していたんだもんな」  ロナルドの声音に一種不可解な感情を感じ取る。が、気のせいだろう、とエリザベスはふっと笑った。 「いいえ、交際はしていませんよ。ロナルド様仰っていたじゃないですか。交際とはその相手を特別とし、他者を捨て置く行為であると。申し訳ありませんが、私にとっての特別はジャック様ではなかったようですし」 「そうか。そうだよ……えっ!?」  珍しく、本当に珍しくロナルドが動揺して取り乱していた。 「違うのか!? エリザベスはジャックのことが好きだったんじゃ」 「好きですよ、人としては。でも、それだけです」 「そうなの、か」  今度こそロナルドの声音に混じった感情に、エリザベスは勘違いじゃないことを確信した。先ほどは嫉妬、そして今回は安堵。  しかし、その感情の意味は、エリザベスには理解できなかった。人心はいまだに、彼女にとっては難しいものだ。ならば、詮索するものでもない。 「では、ジャックに会う約束を取り付けるか?」 「――ですが、」  前のめりに話を進めようとするロナルドに対し、エリザベスは顔を曇らせた。 「ジャック様に私は会いたいです。しかし、私は敵国の人間で、彼を騙していたわけで……。ジャック様からしたら、顔も見たくないと思います。いいえ、ジャック様だけじゃない。この国の人は皆きっと……」  エリザベスは薄い唇を歪めた。ロナルドが言うように、表に出ることができないのはエリザベスにとって窮屈であったが、それと同時に救いでもあった。  ミュンエルン王国を欺き、同胞を死に追いやったエリザベスのことを国民の誰もが憎んでいるのではないか。そんな恐怖に相対しなくて済むのだから。  エリザベスの内に秘めていた恐れを感じ取ったのか、ロナルドは息を詰まらせた。もしかしたら、心当たりがあるのかもしれない。エリザベスはそう直感した。 「っ、そういう人がいるのも事実だ。だが、国民全員ではないし、現に俺は君とこうして生活まで共にしている。わだかまりはあれど、もう国家間は和平に向かっている。互いの利のためにも、個々人同士でも交友していくべきだと思わないか? ミュンエルン王国もイワチェリーナ帝国も」 「ロナルド様は優しいですね。しかし、そんなに簡単に国同士の憎しみは消えないのでは?」  エリザベスは、長い金の睫毛を震わせた。祖国で聞いていたミュンエルン王国は悪辣で人殺しで、という話。誇張もあったのだろうが、十六年前の大戦のように幾度も戦争をしてきた老兵たちからすると、そこに彼らが見た真実もあったはずだ。大事な家族や仲間を殺されてきたのだから。 「優しさから言っているんじゃないさ。では聞くが、憎しみ続けるのが正解なのか? 仲間を亡くし、友の仇同士である俺たちがするべきなのは、互いを許して悲劇を繰り返さないことじゃないのか? 少なくとも俺は、君には事情があって忠心を尽くした結果なのだと知っているから、君を国の仇だと憎み続ける気はさらさらないよ」 「私の、事情」  ロナルドの言う単語の真意がわからず、エリザベスが目をぱちくりと瞬かせると、ロナルドは渋い顔で肩を竦めた。 「すまない、アリサから聞かせてもらった。君の生い立ちやヴィクトルとかいう男との話」 「ああ」  万感の思いを煮詰めた吐息が重くエリザベスの口から漏れ出した。 「では、ロナルド様は本当に何もかもご存知なのですね」 「そうだ。だから君は、」 「だとして」  エリザベスはきっと口を結んだ。 「自分が選んで、ミュンエルン王国に害をなした、という事実は揺るぎません」  強い光がエリザベスの鳶色の瞳を彩る。 「……エリザベス」  その輝きにロナルドは瞬間、目を丸くして、すぐに顔を綻ばせた。 「まったく。君らしいな。そんな君だから――」  リリリリリ、と騒々しいベルの音がロナルドの言葉を遮った。 「悪い、エリザベス」  片手で謝罪をしながら、ロナルドは鳴り渡る電話の受話器を耳に押し当て、何やら話し始める。 「はい。ええ、ええ。…………明日ですか!? それは、あぁ……承知いたしました」 「何事ですか?」  チン、と軽い音を立てて受話器を置いたロナルドにエリザベスは尋ねる。ロナルドは軽くため息をついて額をかいた。 「元帥からだ。イワチェリーナ帝国との和平交渉のために急遽、明日から彼の国の帝都に行くことになってな。俺から希望して和平交渉に参加することになっているから文句は言いにくいが、幾分急すぎて」  ちらりと心配そうな目をエリザベスに向けるロナルド。 「俺が今ここを離れてしまうと、日々の買い物すら困るよな。しかしもう、こんな時間だと商店も開いてないだろうし」 「あの、帝都に行くんですよね」 「うん? そうだが」 「なら、私も行っても良いですか?」 「えっ」  絶句し、ロナルドがまじまじとエリザベスを見つめる。 「どうして。君は祖国で辛い目に遭っていたんじゃないのか? まさか……戻りたいのか? しかし、敗戦の兵である君はおそらく、」 「そうですね。きっと、戻ったところで敗戦の責の一端を背負わされ、罰せられるかと思います。しかし、だからといってこの国で、こうやってロナルド様の優しさに甘えて、いつまでも隠れ住むこともできない。そうでしょう?」 「それは……。俺はいつまででも……。いや、そうだな。その通りだ」  迷いながらも、ロナルドはエリザベスの言葉に同意した。エリザベスはふっと微笑む。 「きちんと、自分のしてきたことと向き合います。大丈夫です。貴方に頂いた命を無碍にしたりはしません」 「――絶対だぞ」 「はい、必ず」
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