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 車窓から覗く風景は、一面真っ白な雪景色。外は凍てつく寒さであろうが、ロナルドたちが座る車の中は暖房のおかげでとても暖かい。 「すごいですね、こちらの国の車は。ミュンエルン王国の車は、こんな温度調節機能など付いていませんから」  ロナルドの言葉に、運転手をしているイワチェリーナ帝国軍兵は返事もせず、射殺せんばかりのきつい視線を向けた。 「ロナルド、さすがについ先日まで撃ち合っていた国の者同士が気軽に雑談とはいかんだろう。特にお前は、我が国の英雄であり、イワチェリーナ帝国にとっては敗戦の原因だ。立場を弁えろ」 「アイ、サー」  元帥・ラザフォードは両眼を閉じて、唸るように言う。肩を竦めて、ロナルドは気まずく身を小さく捩った。 「それにしても、王はよく俺の提案を呑んでくださいましたね。あれだけ賠償金に固執していたのに」 「ないもんはないんだから、仕様がない。それよりも交渉が長引く方が、遠征費用だのなんだの国庫負担が大きくなるとようやく気付いたんだろう。やれやれ、これで王の戦争好きも落ち着くといいんだが」 「え……」  ラザフォードの嗄れた声で紡がれた言葉を、ロナルドは信じられない思いで聞いていた。 「何かね」 「元帥閣下は……戦争がお好きなのでは……」 「戦場に行った者で戦いが好きな者などおらんよ。戦争が好きなのは、安全圏にいる者だけだ。儂はただ、自分の信条を言わないだけよ。青臭いお前と違ってな」  額から鼻にかけて刻まれた古い傷跡をかいて、老獪は口角を上げる。 「今より上に行って成したいことがあるなら、戦績に加えてそういった処世術も身につけなきゃいかんよ」 「はっ……勉強になります」 「一眠りする。着く頃になったら起こしてくれ」  再び瞳を閉じ、嘘か本当かラザフォードは穏やかな息を立てている。  まったく。どこまで知っているんだ、この老兵は。額に浮かんだ汗を拭い、ロナルドはまた車窓に視線を飛ばす。帝都までまだ道のりは長そうだ。 「それじゃ……賠償金は据え置き、返済期間は定めない。本当にそれでいいのか?」  やつれた顔でそう尋ねるのは、イワチェリーナ帝国皇帝。大陸北部を治める大帝国の最高権力者は、その肩書には似つかわしくない小さな体を細腕で抱きながら「ありがとう、ありがとう……」と苦しげに呟いた。  過去二回ほど行われた和平交渉は、ミュンエルン王国軍とイワチェリーナ帝国軍、それぞれの使者が中立国にて行っていたが、互いに譲らず物別れに終わっていた。これに業を煮やしたミュンエルン国王が「軍では話にならない。イワチェリーナ帝国皇帝と直接交渉し、いい加減に条約を結べ」と命じたことがこの会談がきっかけである。  しかし、金銭面で譲歩したからには、ミュンエルン王国側としてはどうしても突きつけたい項目があった。それこそ、交渉相手が軍では到底了承されなさそうな項目が。 「ええ、ただし条件が三つほどあります」  円卓の向かいに座り、ロナルドは小柄な皇帝に指を三本立ててみせた。 「一つ、帝国軍を完全に解体し、主だった科学兵器を我が国に引き渡すこと。二つ、現在、帝国軍にある主権を本来あるべき皇帝と民に戻すこと。そして三つ、我が国と交易を結び、そちらの科学技術と我が国の魔導を互いに学び合うこと」 「――っ!? 何をふざけたことを! 軍の解体!?」  皇帝の隣に控えていた皇子が身を乗り出して、反駁する。 「それでは、我が帝国から完全に牙を抜くと言うことか!? そんな馬鹿な条件があって溜まるか」 「ええ、そうです」  食いかかる皇子に慌てる様子も微塵もなく、ラザフォードが重々しく頷いた。 「お若い皇子、勘違いなさるな。我が国にとって貴方の国は侵略国で脅威だ。その腕をもいでおくというのは、戦勝国として当然の権利でしょう。戦争で負けるというのは、そういうことです。もっとも――」  重い瞼を開け、ラザフォードは大広間を見渡す。質素な調度品、居座る濃紺のミュンエルン王国軍兵に対し心許ない衛兵、そして粗末な身なりの皇帝一族。 「これ以上無理を押しての軍備拡張が喜ばしくないのは、皇帝陛下も同様では? ここいらで軍事国家という呪縛を解いてはいかがですかな?」  恥じるように皇子の顔に朱が走る。 「皇帝陛下」  泥のように椅子にもたれ、疲労を滲ませる白髪の皇帝にロナルドは呼びかけた。 「捕虜たちから伺いましたが、イワチェリーナ帝国はその数百年に及ぶ長い歴史の中で、幾度となく訪れた危機を皇帝一族の政で乗り越えてきた、と。だからこそ、貧しい状況にあっても民は広く皇帝一族に忠義を誓っている、と。そんな民に報いるために必要なのは、軍事力でしょうか? 民が栄えるために皇帝がすべきことは、軍の傀儡となり強き力で他国から富を奪うことではなく、国土を豊かにし自国の経済を回すことではないでしょうか?」 「ロナルド、口が過ぎるぞ」 「いや、良い」  骨と皮ばかりの腕を上げて、ゆるりと皇帝は制する。 「軍の傀儡。皇帝として儂が成したことなどこの四十年、何もない。うぬらの条件は呑む……と言うよりは、元帥が申す通り敗戦国である儂らが軍縮なしに赦されるとは思っとらんよ」 「しかし、父様。軍事力なしに民はどう支配するのです? 徴税は? 配給は? 力なくしては、内乱の鎮圧もできなければ、侵略を跳ね除けることも困難です」 「皇子、こちらは全ての軍事力を放棄せよとは申しません。治安維持に必要な力は残しましょう。また復興の間、近隣諸国からの脅威は我が国が駐軍し対応いたします」 「物は言いようだな。それは貴国が我が国を監視し支配するということではないか!」  皇子は激昂し、円卓に拳を打ちつける。 「監視は否定しませぬ。しかし支配などとは一切考えておりません。我が国の目的は、貴国と友好を結び、今は断絶されている交易を復活させること。対等である証に、貴国の科学技術をいただく代わりに、長らく秘匿してきた我が国の魔導を差し出すつもりです」  悪いお人だ、元帥は。出かけた言葉を呑み込んで、ロナルドは細く息を吐いた。ラザフォードの台詞に嘘はない。交易を結び科学技術を手中に収めるのは、王の望みでもあり、賠償金の条件を緩和するにあたって軍備縮小に継ぐ重要な代替事項でもあった。  しかし、目玉のように掲げている魔導の知識の提供というのは、既にエリザベスによりイワチェリーナ帝国軍が魔導の力を手にした以上、そこまで魅力的な提案ではないはずだ。皇子が言った通り、物は言いよう。違う世なら、ラザフォードはやり手の商人になれたことだろう。  ラザフォードの目論見通り、皇帝も皇子も揺れていた。潜めた声で、ロナルドたちに聴こえないよう密談をしている。しかし生憎、ロナルドの聴力は、そんな会話を聴き分けられるくらいには良かった。 「魔導が手に入れば、軍事力を補うこともできる……か?」 「ええ、我ら皇族に主権を取り戻すことも」 「しかし、しかしな、民の統制はどうする。我が国が厳しい軍事国家となったのは、国土の大半が寒く貧しい土地故。食料自給の問題が解決せねば、やはり他国の侵略以外活路は、」  コホン。ロナルドはわざとらしく咳払いをして、左手をかざす。指先には例の如く、氷の礫が踊っていた。 「俺、いや失礼、私は何を隠そう氷を使用した魔導が得意なんですがね、氷を作ることができるということは、溶かすこともできるということなんです」 「藪から棒に何を」 「いや要は、魔導というのは、使い方次第でどんな土地にも作物を芽吹かせることができるということです」 「!」  皇帝の目の色が変わった。よし、あと一押しだ。 「そんな……そんな都合の良いことがあるのか……? いや、ならばしかし、」 「お待ちください、皇帝陛下」  その時、冷たい機械のような声が和平交渉を断ち切る。その男が音もなく皇帝の隣に出たのを、ロナルドは初め知覚できなかった。  おそらく、皇帝一族の後ろに控えていた衛兵の一人なのだろう。しかし、きちんと目を向けると、筋骨隆々の肉体に毛一つも生えていない無機質な顔。男が纏う異様な威圧感に、ロナルドは思わず唾を呑み、ラザフォードは敵意を剥き出しにした。  こいつは――本当に一介の衛兵か?  ロナルドの緊張で乾く口内に、疑問が渦巻く。何故、これほどの異物に今まで注意も払わなかったのだろう。  自身を刺す敵意に大男は、気付いているはずだ。だが、それらを黙殺し、皇帝に囁きかけた。 「魔導は驚異の技です。が、それ故に使用者を選びます。魔導を極めし者が我が国にいなければ、それこそ絵空事。我が軍にいた数少ない使用者は皆彼の国にて虜囚となっている今、その謳い文句は通用しませんぞ」 「!? 真か!?」 「それっは……」  大男が冷たく唇を釣り上げた。あと少しで交渉が成るところだったというのに。慌ててロナルドは口走った。 「和平交渉が成立すれば、捕虜はお返しします。それに、我が国の魔導士を派遣すれば、貴国で魔導士を育成することも可能で、」 「おや、《氷雨の王子》殿。つい先日まで圧倒的な魔導で我が国を蹂躙し、兵を殺戮していた貴殿の戯言を我々が信じられるとお思いで? 魔導士の一人でもこの場で置いていくというならまだしも」  喉の奥で冷徹な笑みを鳴らし、大男はロナルドを見つめる。光も灯らぬ暗い瞳で。 「しかし、この場にいる魔導士といえば貴殿一人だ。貴殿が残るか?」 「ならん、ロナルドは我が国最高戦力だ。それはならん」  ロナルドが答えるより先に、ラザフォードの嗄れた声が牽制する。わかっている。しかし、それでは。火花散る空気の中、ロナルドのこめかみを汗が伝った。 「では、私でいかがでしょう」  凛とした声がその場を薙ぐ。  誰しもが虚を突かれた。  ロナルドの横に控えていた、仮面の人物。顔に傷を負った新しい補佐だと、ロナルドが紹介した人物。  優美な仕草で仮面を剥ぎ、顔にかかる絹のような金糸を耳にかけた。美しい素顔を晒したその女は、大男を見据え花開くように微笑んだ。 「お久しぶりです、ヴィクトル様」 「――エリザベス」
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