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「エリザベスです。北部地域の出で、歳は十八です」  世に名高い《氷雨の王子》の執務室。かねてより空席であった彼の補佐官になるために王都に出てきたエリザベスは、十日余り前にこの部屋で初めてロナルドと相見えた。 「どうしてこの仕事を志望した?」  さしたる興味もなさそうに、ロナルドはエリザベスに深い蒼の瞳を向けていた。  異名の通り性格まで冷たい、というのは本当なのね。  緊張で身を震わせつつ、エリザベスは背を伸ばす。 「ロナルド様を尊敬しているからです。国一番と謳われるロナルド様の魔導を間近で拝見できたら、と」 「魔導に興味があるのか? 珍しいな」  途端、ロナルドの瞳に一筋の光が宿った。  魔導。  建国以来、常に大国にその豊かな国土を狙われ続けているミュンエルン王国。この小国が独立を保てている最大の要素こそ、魔導だ。 「どこまで理解している?」  探るような目つきの中に抑えきれない興奮を垣間見て、エリザベスはこの話題を出したのは正解であったと思い知った。 「一般的な知識のみです。魔導とは、自然界の摂理を理解し、古代語を用いた式句によりその原理法則を利用する。魔導を意のままに使用するためには、自然界への深い造詣及び古代語を操る能力も必要だが、使用者自身の適性も問われる。我が国は、この魔導を研究し、かつ国内のみにその技術を秘匿することで、イワチェリーナ帝国のような科学軍事大国に対抗してきました」 「辞書のような回答だな。しかし、この基本的事項すら解していない者が国民の大半であることを鑑みれば、良い返答だ」  ロナルドが左手を振れば、何もなかった空中に氷の粒が舞う。驚きに打たれて、エリザベスが思わず目を丸くすると、ロナルドは少年のように破顔した。 「実際に目にするのは初めてか? まるで物語に出てくる魔法のようだろう? けれどこれは、大気中に存在する水分を一箇所に集める、その水分の温度を奪い氷と成す、この二つの式句を左手に刻んでいるからできる魔導の初歩のようなものだ。例えば、炎、雷、その他金属のような大気中にありふれて存在しているわけではない物質は、こうして道具もなしに生み出すことは難しいな。それにこの執務室内の水分を利用しているから少々乾燥はするし、水分中の熱を奪い放出するから室温もわずかに上がっている。と言っても、どちらも気にならないほどの変化だろうがな」  饒舌なロナルドに、エリザベスはさらに瞠目する。風の噂で聞いていた限りでは、《氷雨の王子》は操る氷同様に冷酷で出世のことしか頭にない人物だったからだ。  今、この瞬間、エリザベスの目の前にいる男性は、自身が研究して掌中にした魔導について語ることができる喜びを全面に出した、純粋な人物に見えた。だから思わず、エリザベスも口を滑らせた。 「大気中に水が存在……するのですか? ならばどうして私たちは濡れないのですか?」 「ああ、と言っても信じ難いだろうな。そうだな、今言ったが、人が『乾燥する』と感じるのはそもそも空気中に含まれている水分が普段より少ないからで」 「はい、ストーップ! 隊長、今は面接中ですよ」  熱弁を奮うロナルドを遮ったのは、彼の隣に控えていたジャックだった。 「良くないっすよ、魔導って聞くと熱くなるその癖。君も困るよね、魔導の理屈なんて小難しいもの喋られても」 「いえ、私は魔導を学びたいとも思っていたので、寧ろありがたいのですが」 「え?」  ジャックは手にしていた履歴書を眺めて、不思議そうに首を捻った。 「君……エリザベスちゃん、学校は出てないようだけど本気で魔導学びたいの?」 「学校を出ていない? 本当か?」  これにはロナルドも驚いたようで、ジャックが見ていた履歴書を覗き込んだ。 「魔導を学ぼうと思ったら、高等教育課程は必須だろう。いや、それどころか……何故、初等教育を受けていない? 前王の治世中、全国に普及したはずだが」 「そ、れは、」  エリザベスはきゅっと拳を握った。微かな汗で指が滑る。 「私は北部の出だと申し上げましたが、国境沿いの――十六年前の大戦で戦地となった村なのです」  細かく震えたエリザベスの声に、ロナルドとジャックが息を呑んだ。 「物心ついた時には、私は孤児でした。貧しい大人から施しをもらうために、小さい頃から農作業の手伝いなど働き詰めで……学校に行く余裕などありませんでした」 「……そうか」  唸るように相槌を打ち、ロナルドは剥き出しの額をかく。 「読み書きは誰に習ったの?」 「農作業の合間に、私たちのような孤児に無償で学問を教えてくれる方がいまして。そこで魔導のことも知りました」 「そう、いい人がいたんだね」  武官らしく筋肉質な体躯に似合わず、優しく微笑むジャック。あぁ、この人は性根が善人なのだろう、と頷きながらエリザベスは思った。 「孤児で貧しい私に高等教育を修めるような金銭的余裕はありません。ですから、先の大戦でミュンエルン王国を勝利にもたらした魔導を学びたくとも、私には正当な手段を取ることができないのです。ならばせめて、国一番の魔導士と名高いロナルド様に仕えることで、何か得るものがあれば、と」 「なるほどね。ただ今回の募集は、隊長の事務関係全般に関する補佐業務だから、魔導について教えられる時間が取れるかは隊長次第になるけど」  ジャックが伺うように隣の上官に視線を送る。 「そうだな。保証はしかねる。が、面白いな」  ロナルドが白い歯を見せて笑った。 「エリザベス。君を俺の補佐菅として採用しよう」 「えっ、えぇっ!? ちょ、隊長!?」 「本当ですか!」  思ったよりトントン拍子に進んだ話に、エリザベスは腰を浮かした。 「っ!」  エリザベスが無意識にロナルドに顔を近付けると、ロナルドは言葉を詰まらせる。 「近いよ、エリー」 「申し訳ありませ……エリー?」  諌めるジャックから飛び出した耳馴染みのない名に、エリザベスが戸惑うと、ジャックはにこりと笑みを深めた。 「あだ名。これから仕事仲間になるんだから、親睦の証にね」 「はあ」 「あ、じゃなくて隊長! こんなあっさり採用って……事務員とはいえ、軍属になるんですよ? もっとしっかり見極めた方が」 「なんだ、早く決まった方がいいだろう。元々、欠員で困っていたんだ。お前だってあだ名〜なんて言って浮かれているくせに」 「そんなこと、ありますけど」  気まずげに栗色の髪を指に絡めて弄ぶジャック。 「じゃ、あと頼むぞ。会議が入っているんだ」 「隊長ーーっ!」  困惑するエリザベスとジャックを置いて、ロナルドは颯爽と執務室を後にした。  残されたジャックは眉を寄せて苦笑しつつ「じゃ、王宮内の説明でも行く?」と尋ねた。心なしか頬が赤い気がするのは、エリザベスの勘違いだろうか。
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