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「んじゃあ、私は救護室に手伝い行くからねー! 隊長、エリーをよろしくお願いしまーす!」  ジャックのエリザベスへの告白、もといエリザベスとレベッカが友人になってから七日。  レベッカは明るく天真爛漫で、人付き合いに慣れていないエリザベスですら、一緒にいて心地良いと感じる女性だった。  昼食など理由をかこつけて落ち合い、恋愛話に花を咲かしていればあっという間に時間が経つ。まあ、恋愛話と言っても話すのはもっぱらレベッカで、エリザベスは聞き役に徹していた。語る過去がないのだから仕方ない。それに現在進行形で返事を保留しているジャックに関しても、付き合いが長いレベッカの方が情報が多いのだ。  そして今日もランチをしたのち、ロナルドの執務室に向かうエリザベスを見送る、と付いてきたレベッカ。  上司相手になんてフランクな挨拶を、とエリザベスは思うが、そこはレベッカのキャラクターあってこそ。ロナルドも気にする様子もなく「あぁ」と、エリザベスを手招きした。 「それにしても驚いたよ。君がレベッカとこんなにも親密になっているなんてね。どういう風の吹き回しだ?」  小走りで馳せ参じたエリザベスを横目で引っかけつつ、書類をチェックする手はそのままにロナルドは話を振る。 「困り事を抱えている私を見かねて、レベッカが声をかけてくれたんです。それ以来、よく食事を共にするようになりまして」 「へぇ、面倒見の良いレベッカらしいな。彼女は回復魔導が得意なんだが、その性格ともマッチしているよな」 「そうなんですか。人体に寄与する魔導は私にはさっぱり使えないので、習ってみたいものです」 「俺も得意ではないが少し使えるから、このあと試してみようか?」 「ええ、是非。その前に今日期限の書類を終わらせていただければ、」 「よし、終わった!」  エリザベスの言葉を見計らったかのように最後の書類の捺印を完了して、ロナルドは不敵に口角を吊り上げる。 「……拝見いたします」  ロナルドの目の前に積まれた決裁済み書類を順に手に取り、エリザベスはパラパラと捲った。  部下が調製した文書の添削、報告書等の読了印。ロナルドの加筆や署名が必要な箇所を一つずつ指差し、エリザベスは抜けがないかを確認していく。執務室には、エリザベスが書類を捲る軽やかな音だけが反響した。 「はい、完璧です。お疲れ様でした」 「そうか、じゃあ行こう」  エリザベスが言うや否や、ロナルドは腰を浮かし執務室から出て行こうとする。 「あ、お待ちください。私もお供します」  まったく。エリザベスは鼻から息を漏らす。行き先も目的も告げずに失踪していた時はわからなかったが、考えてみればロナルドは国随一の魔導の使い手、頭の回転も早ければ事務仕事も優秀であるはずなのだ。本気を出したらエリザベスのフォローもいらないレベルだなんて、今までどれだけ手を抜いていたのか。  エリザベスの内心も露知らず、ロナルドは上機嫌で先導していく。と言っても、彼もあまり感情を顔に出すタイプではないので、オーラが上機嫌そうに見えるという話なのだが。 「では、エリザベスにとっておきを見せよう」  夏の日差しが燦々と降り注ぐ中庭に出ると、ロナルドは得意げに両手を前に突き出した。袖口から覗く両腕には、プラチナ製のブレスレット型魔導具が光っている。  ロナルドが左手を左右に振ると、いつものように氷の礫が宙を舞う。円を描くような動きをロナルドの左手が続けていると、氷は楕円形に膨らみ二ミリほどの大きさに姿を変えた。 「これは……なんですか?」  怪訝に見つめるエリザベスを首を振って制し、ロナルドは右手をパチンと鳴らした。すると、瞬く間に同じ形の氷塊が無数に出現する。 「!」  なんという、なんという生成スピードと質だろう。ざっと目算しても百は下らない。バラバラに漂っていたそれらが、ロナルドの左手の号令に従い、三つずつ合体する。エリザベスははっとした。あたかもその姿は、 「スノードロップ」  ロナルドは笑みを浮かべ、花の名を冠した技名を告げた。 「傷の治癒に必要な成分をこの氷の花から湧き出すようにした魔導だ。本当はレベッカのように人体に直接魔導をかけることができれば効率がいいんだが、俺はもっぱら空気といった無生物に働きかける魔導が得意でな。遠回りでも、大気中に微量に存在する薬用成分をかき集める方が性に合っているんだ。花のようにしているのは、まあ、イメージだな。モチーフは大陸北部に咲くという」 「スノードロップ。春を告げる花。懐かしい……」  ロナルドの長い解説をエリザベスが引き取る。しかしその鳶色の瞳は驚きと一抹の郷愁で見開かれていた。 「懐かしい? 見たことがあるのか?」 「ええ。私の故郷の村に生えていたのです。北の最果て、雪ばかりの厳しい地域でしたので、スノードロップが咲くと冬も終わりだと皆、喜んだものです」  そう話しながらも、エリザベスの脳裏には幼かった頃の記憶が封を解かれたように次々と蘇る。十分に行き渡らない食糧。空腹に喘ぎながら、寒さに耐える日々。それでも、雪解けだけはいつも嬉しかった。春になれば、小麦や他の作物も実る。毛布を握り締めて夜を越す必要もなくなる。  辛い記憶の中でも、雪を払い除けるようにスノードロップの純白の花が可憐に咲く様は、鮮やかに思い出せた。 「――そうか」  ロナルドの声で、エリザベスは追憶から目覚めた。いつの間にか、ロナルドは芝の上に座り込み、スノードロップが舞う中で優しく微笑んでいた。 「君の個人的な話を聞いたのは、採用面接以来初めてだな」 「すみません……」 「いや、嬉しいよ。君のことを知ることができて」  聞き覚えのあるフレーズに、エリザベスはふっと目を伏せた。つい先日、ジャックもエリザベスのことを知りたいと言っていた。  人と深い仲になる時には、相手のことを知る必要がある。そして、自分のこともわかってもらう必要がある。互いのことを理解して、より親密になっていく、らしい、レベッカ曰く。  エリザベスにはわからない世界線の話だ。しかし、陽気で友人の多いレベッカはこうも言っていた。「魔導と一緒」だと。  氷の花は夏の日差しを反射して、透明に咲き誇っている。目に明るく、眩しい世界だ。 「俺は北部出身だけど、本物のスノードロップは見たことなくてな。憧れもあって、この名を付けた。いつか本物も見てみたいものだ」  沈黙を割くようにロナルドが口を開く。 「北部の出身なのですか。ロナルド様は王都の魔導高等学校出身ですので、てっきり王都の生まれかと思っておりました」 「詳しいな。まあ、軍部では知られた話か」  ロナルドが顔を微かに上に向けると、後頭部に流した黒髪が風になびいた。乾いた熱を孕む風の中で、スノードロップの周囲だけは涼しく心地良かった。 「では、ここからは知られてない話だ。俺は北部の州都で生まれ育っている。ちょうど、エリザベスと同じようにな。そして九つの時、世界大戦が始まり、軍人であった両親と兄は亡くなった」 「えっ……」  絶句するエリザベス。ロナルドは瞼を下ろし、淡々と語り続けた。 「住んでいた家も燃えてなくなり、王都に住んでいた遠い親戚に身受けされることになった。そこで魔導の才を見出されてな。今は給金を送ることで学費を返済している。だからな、初めてエリザベスの身の上を聞いた時、他人事とは思えなかった」 「…………」  声を出せないエリザベスを横目で見て、ロナルドは蒼い目を地に向ける。青々と茂る芝を繊細な手つきで撫でて、慈しむような口調で言った。 「いいものだよな、平和っていうのは。人々が安心して生活して、緑の木々が街を彩る」 「――しかし、戦で勝ち、賠償金や領地を得たからこそ、ミュンエルン王国は一段と豊かになりました。一方で、敗戦したイワチェリーナ帝国はより貧しくなった。戦争に勝ったからこそ得るものもあるのでは?」  ロナルドの瞳が揺れる。 「ああ、そうだな、それも事実の一端だ。だからこそ君は、軍に属しているのだろう。国を豊かにするためには、軍事力を強化し、資源を守り、時には敵国から奪う必要があると」 「その通りです」 「実際、国王はそうお考えのようだ。このところ軍備拡張にご熱心のようだしな」  そこでロナルドは口を噤み、直立したままのエリザベスを手招きした。近くに寄れ、ということか。不審に思いつつ、エリザベスが歩を進めると、ロナルドの周囲を舞っていたスノードロップがざあっと風を起こし、エリザベスをも包んだ。 「っ!」 「怖がらなくていい。このスノードロップは音を遮断する効果もあるから、秘密の話をするにはもってこいなんだ」 「秘密の……?」 「単刀直入に言おう。俺は戦争が嫌いで、なくすために軍に入った」  エリザベスは息を呑む。  ミュンエルン王国軍に入隊する時には、皆すべからく国と国王に絶対の忠誠を誓う。現王が戦争推進派である以上、ロナルドの発言は反逆の意思と取られても不思議ではない。 「何故、そんな大事な話を私に……」 「そうだな。好戦派のエリザベスの意見を覆せれば、国民の意識を変える糸口が見つかるかも――と、いうのは口実だな」  コホン、と小さく咳払いをするロナルド。 「君には、本当の俺を知っていてもらいたいから」  そう告げる声は、いつもよりも小さく、どこか躊躇っているように聞こえた。
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