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 その日の夜。  王宮軍宿舎の居室で、エリザベスはベッドに仰向けになったまま、昼に交わしたロナルドとの会話を反芻していた。 「戦争は全てを奪う」  スノードロップが注ぐ中で、ロナルドは冷たい声で言った。 「大戦の時、幼かったエリザベスは知らないだろう。目の前で母親が吹き飛ぶのも、父親と兄が指一つしか残らず、亡くなったと報さられることも。悲しい、なんてもんじゃない。体が散り散りになってしまって、心に霞がかかったように何も考えられなくなる」  ロナルドは端正な顔を苦痛に染めて、弱々しく俯いた。 「しばらくは生きる気力もなかった。俺だけじゃない。あの大戦では多くの街が爆撃に遭い、数万人もの人が亡くなった。わかるか? 大事な人を失くした人が、それと同じだけ、いやそれ以上の数いたということだ。あんな悲劇は、二度と繰り返してはいけない。多くの悲しみの上に成る繁栄など、あってはいけないんだ。なのに、」  ロナルドの拳が強く握られ、血管が浮き出る。彼の感情に呼応するように、スノードロップが強く吹き荒んだ。 「王の意向が反映された教育で、よりによって戦争孤児のエリザベスが戦争に賛成して自らも身を投じようとしてしまうなど……そんなこと……」 「ロナルド、様」 「俺は魔導で国を富ます術を探っている。ほら、少し前に見せた雨を雪に変える魔導。あれを逆にすることができれば、たとえば豪雪地帯でも雨に変えることができる。雪に悩まされる地域でも今まで育てられなかった作物を栽培できる」 「! 確かに。そんな夢のようなことができれば、他国から食料を奪う必要もなくなってきますね」  エリザベスの脳裏に、ロナルドが行使していた大規模な氷の雨の魔導が浮かぶ。あの時は体力の問題があったが、そこを解決できれば、あるいは。 「それが、それこそが、業務を怠けるふりをして魔導の研究をしている本当の理由だ。軍備拡張に関係のない魔導では、業務中に研究をして良い道理はない。下手すれば反逆罪になる。ただ、エリザベスも聞いているだろうが、このところイワチェリーナ帝国との国境線で小競り合いが続いている。どちらかが宣戦布告すれば――また、戦争が始まるだろう。もう一刻の猶予もない。早く魔導を完成させなければ……」 「魔導で、国を富ます」  質素な居室に、エリザベスの声が溢れ落ちた。 「そんなことって」  胃がグラグラして所在ないような感覚がエリザベスを襲う。  野蛮な外国から豊かな土壌を奪取する。悪政に苦しめられている民をも救い、土地も人も増やして繁栄する。  物心ついた頃から親兄弟もなく、寒さの中枯れた土地で貧しさに喘いでいたエリザベスは、その考えだけで戦による国力増強を望んでいた。何も持たない自分がその糧となれれば、と軍にも飛び込んだ。国のためなら、豊かさのためなら、エリザベス自身も含め、少々の犠牲は仕方ないと。むしろ、何者でもない自分が国の礎となれるのであれば、戦死であろうと誇らしいことだと考えていた。  しかし、ロナルドはそうではなかった。  軍の要職にあり、ロナルド自らが貴重な戦力であるのに――戦争をさせないために必死だった。 「そんなことって」  ロナルドが言うには、この事実を知っているのはエリザベスの他、ジャックのみらしい。  ジャックとロナルドは、軍に入る前から魔導高等学校の腐れ縁らしく、思想を共有する良き理解者なのだそうだ。 「――ジャック、様、か」  そういえば、告白され返事を保留して以来、どうにも気まずくて仕方ない。  以前までのように、ロナルドの愚痴を語り合えたらどんなにか楽だろうか。  ゴロンと寝返りを打つと、解いた金糸がエリザベスの視界を覆った。  そもそもこれだけ考えを詰めるのは、エリザベスの性に合っていない。頭がモヤモヤして結局、解決策など浮かぶことはないのだ。  ああ、でもまだ日課が残っている。これだけはやっておかないと。  眠りたい、と懇願する体を叱咤して、エリザベスは机に向かった。 「よっ、エリー」  そういう時に限って、バッタリ出会してしまうのはなんでなのだろう。  翌日、魔導部隊の詰所。エリザベスが昼休憩を取っている最中にジャックが訪れた。よりよって、レベッカが非番でエリザベスが一人の時に。 「ジャック様……」 「だーかーら、様はやめてって。このやり取りもなんか久しぶりだね」  自然な流れでエリザベスの隣に腰掛けようとして、ジャックは固まる。 「あ、ごめ」 「大丈夫です!」  ジャックが離れていこうとするのが何故か寂しくて、エリザベスは咄嗟にジャックの袖口を引っ張った。 「え?」 「いや、その、隣に座ってください」 「でもエリー、嫌じゃないの? 俺のこと避けてたし。って、違うよ! 責めてない、責めてない! 勝手に先走って告白するような男なんてさ、そりゃ避けたくもなるよね、うんうん、俺でもそうだよ」 「ふふっ」  怒涛の如く喋るジャックが可笑しくて、エリザベスは思わず吹き出す。ピタッと舌を止めるジャック。そんな彼の袖を摘んだまま、エリザベスは今度こそ明確に笑った。 「まだ何も言ってないのに、ジャック様らしい」  堰を切ったように笑い続けるエリザベスを見てか、ジャックも釣られてにへらと相好を崩した。 「……良かった。エリーと喋れなくなった らどうしようって思ってたんだ」 「ふふ、私もです」 「そうなの!?」  エリザベスが何気なく返した言葉にジャックが火を噴きそうな勢いで赤面した。大きな掌で顔を覆いながら、何やら小声で呟いている。 「? どうしました?」  エリザベスが小首を傾げても、まだ何かしら口内で留めている。 「可愛い、すぎる……よ」  ようやく聞き取れたジャックの囁きは、エリザベスの色白の頰を朱に染めるのに十分だった。 「……そんなこと言われたの、初めてです」 「ええっ、エリーの周りにいた奴ら、見る目ないなぁ」  心の底から驚いたようにジャックは金の瞳を丸くする。コロコロと変わる表情に、エリザベスはまた笑みを漏らした。  不思議だ。笑うことなんて今まで生きていてほとんどなかったのに、ジャックと一緒にいてこうして話しているだけで、何でも面白く感じてしまう。 「私は、まだジャック様のことが好きかわかりません。でも、貴方と喋れなくなるのは悲しい。それだけはわかります」  笑いを収めながら、エリザベスは本音を吐露した。ジャックも深く頷く。 「そうだよね。まだ出会ってから一ヶ月くらいしか経ってないんだ。そう言ってもらえるだけでもありがたいよ」  そして改めて、エリザベスの隣に腰を下ろして太陽のようににっかりと笑った。 「これから知っていこう。お互いのことも。まずは、ここで昼飯一緒に食べてもいいかな?」  こくり、とエリザベスが小さく頷くと、ジャックは嬉しそうにまたはにかむ。見ているエリザベスまで幸せになるような、そんな温かな笑みだった。 「えっ、じゃあエリー、副隊長と付き合うってこと!? えーっ、えーっ!」 「レベッカ、しー」  翌日、食堂に響き渡るレベッカの甲高い声に、エリザベスは慌てて彼女の口を塞いだ。 「ごめん、ごめん。えっ、でもさ、そういうことだよね?」 「いえ、まだそうと決めたわけではなく」 「いいじゃん! 副隊長出世株だし、私は好みじゃないけどかっこいいし、頼り甲斐あるし! 副隊長にしときなって」 「だから、そういうことでは」  エリザベスの弁明など聞く気もサラサラないのか、レベッカは目を輝かせて自らの上司を推した。 「しかもーフレンドリーで優しいじゃん? あ、ほら、隊長は世間で王子って呼ばれるくらいには美形だけど、無愛想だし。やっぱ男も愛嬌だよね」  うんうん、とレベッカが首を振るたびに黒いおさげがピョコピョコ跳ねる。一切の悪気はないのだろう。けれどエリザベスは、その言葉端に引っかかってしまう。 「っ、ロナルド様も優しい人よ」  思いの外必死になってしまったエリザベスの口調に、レベッカは刹那唖然としたが、すぐににんまりと白い歯を剥き出しにした。 「嫌だ、エリー。隊長のことも気になってるの? もう副隊長に決めたのかと思ったのに、罪な女ねぇ」 「いや、だから、そんなすぐ恋愛に結び付けられても、」 「レベッカ! すぐ来られるか!?」  エリザベスの反論は、遠くからレベッカを呼ぶ男性の声で遮られた。二人が視線を向ければ、声の主である若手の士官は濃紺の軍服に血痕を散らし、かなり狼狽している。  ただ事ではない。エリザベスもレベッカも、そして彼を目にした食堂にいた軍人たちは皆、ピリッと空気を張り詰めさせた。 「何事でしょうか?」  レベッカが立ち上がり、丁寧に問い返す。ツカツカと軍靴を鳴らし、レベッカの前に直立した士官は、早口で状況を説明し出した。 「北部国境線沿いでイワチェリーナ帝国軍と我が軍が衝突しているのは周知だろう。そこへ加勢に行く予定だった救護担当の魔導士が何者かに襲われた。彼の回復を君に頼みたい」 「っ……」  エリザベスは恐怖に青ざめ、レベッカも動揺して声を詰まらせる。しかし、必要とされている責任感からか、きっと唇を噛み締めてレベッカは敬礼をした。 「かしこまりました!」  そして、エリザベスを残し、二人は食堂を駆け出した。  一人になったエリザベスは血の気が失せるほどに蒼白なまま、左手で心臓の辺りをぐっと掴んだ。  戦の足音は微かに、でも確かに聞こえ始めていた。
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