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3、今日も妹を探す旅(前編)
僕と里衣は毎日のように、早朝の冬の海辺をドライブした。紺の地平線から太陽が頭のてっぺんをもたげ、傷口のように広がる光を、左の頬で感じながら。
でも、僕たちはそんな幻想的な光景にこれっぽっちも興味を示さなかった。小さな町の公園に佇む電灯が、ついているかいないか。そのくらい取るに足りないことだった。
僕たちは車窓を流れていく路側帯や歩道、砂浜なんかを手分けして舐めるように確認していった。あたりは青っぽい半透明な闇で満ちているので、特に目を凝らさなくてはいけなかった。工場作業員が品質管理をするように。僕はハンドルを握りながら、里衣は携帯電話を握りながら。
里衣の電話の向こうで、心細そうにしゃべっているのが僕たちの探し求めている人だった。里衣は優しくなだめるように声をかける。大丈夫だよ、今すぐ迎えにいくからね。その声には、連日繰り返されるこの捜索活動への疲れややるせなさの息遣いが含まれていた。
電話越しの迷子は言う。
「今日もわかんないよ、お姉ちゃん。私はどこにいるの。海しか見えない」
大学のキャンパスの片隅に、傾いた豆腐のような建物がある。学生が行き場のない熱量をうち放つ場所、サークル棟と呼ばれている。壁や床は彼らの滴る汗と切ない熱の蓄積でうっすらと黒ずみ、表面がでこぼこしている。
冬のしめつけが最高潮に達しつつある年末のある日、僕と里衣は同じ折り紙同好会の部員として、サークル棟の一番奥の部屋でくつろいでいた。部室には薄いござが引いてあり、足の細いコタツが真ん中に鎮座している。壁一面には折り紙に関する教本やら、龍やら東京スカイツリーなどの過去に制作された大型の作品、先輩が卒業を機に放置していった授業の教科書等が詰まっている。高めに設置された小さな窓からは色の薄い空を裸の梢が引っ掻いている様子が見える。大学の部室というより、誰かの田舎といった趣だ。
僕と里衣はこたつに入りながら、実寸代の門松を作るための細々としたパーツを黙々と折っていた。里衣は黒くて長い髪を三つ編みにして、サイドに流すような髪型でお馴染みの理学部生で、日替わりランチの要領で様々なバレッタやリボンがくっついてた。黒っぽい服をよく着ていて、力学や生物化学の青っぽい教科書を小脇に抱えている姿が不思議と様になる。
僕らは二人とも根気のいる作業に向いていたから、作業は着々と進むはずだった。ところが、彼女はややこわばった表情でスマホで誰かとしきりに連絡を取っていたので、二人の成果物の山は直ぐに差がついた。老人と力士の茶碗に盛られた白米のように。
「ごめんね、全然集中できてないや」
「いいんだ。自給制のバイトじゃあるまいし」
「サボってるバイト仲間が許せないタイプ?」
「それは、ちょっとね」
「はい、頑張ります」
と、里衣はかしこまるように戯けて次の白い折り紙を一枚とった。
「他に何かやるべきことがあるなら、そっちを優先すべきだよ」
「やるべきことっていうのは、今のところはないんだけど……」
彼女は口ごもった。部屋の隅っこに目を逸らしながら折っているから、白い折り紙は鼻をかんだティッシュの様相を呈してきている。
「ねぇ、村瀬くん。免許持ってる?」
「三ヶ月前に取ったばかりだけど」
彼女は突然自分の三つ編みを強引に解き、両手を机について頭を下げた。球児が帽子を脱ぐみたいに髪を解くものだから、面食らってしまう。
「車を出してくれませんでしょうか」
里衣には高校生の妹、聡乃がいた。彼女は天使と友達だった。日が沈んでしばらくすると、聡乃の元に天使がやってくるらしい。彼女は天使に導かれるままに家を飛び出し、車庫の自転車にまたがってどこか遠くへ向かっていってしまう。この導きはとても強力なようで、自転車を車庫のポールに頑丈に結びつけてみても、朝になるとノコギリで引き裂かれた縄だけが残っている。
彼女の行先には規則性はない。隣町のごみ焼却施設、いちご農場、大きな陸橋の真ん中……。日が登る少し前になると、天使はパッと消えてしまう。そして、自分がなぜこんな辺鄙な場所にいるのかが全くわからなくなってしまう。その度に自分のスマホか近くの公衆電話から姉に電話をするのだった。どこにいるのか、わかんない。むかえにきて、お願い。
里衣は早朝からけたたましくなる電話で起床し、電話口から妹の不安げな声と外気の音を聞いて目を覚ます。妹を探す旅が始まる。スマホで位置情報を共有してもらえれば楽なのだが、電源が切れていたり、そもそもスマホを持っていなかったりすると、捜査は混迷を極めた。妹の十円玉が尽きるまで彼女の周囲の情報を聞き出して自転車を、ときにバスを走らせてパジャマ姿の女子高生を追い求める。
その年の夏頃から月に一度のペースで聡乃はいなくなり、その頻度は時が経つにつれてましていった。師走に入ってからは三日に一回はそんな調子だった。次第に里衣の頭の中はいついなくなるかわからない妹のことでいっぱいになり、軽い鬱状態になっていた。
「村瀬くんにこんなことを頼むのは、本当に筋違いだとは思うんだけど、父も母も訳あって助けてくれないから……。一日、二千円くらいで、どう、でしょう。冬休みの間だけ……」
解けた三つ編みの真意はそういうことだった。頭を下げている彼女の頬に浮いた青い筋は、僕の心が深い穴に突き落とし、冷ややかさを感じさせた。机上に並んだ折り紙たちが、暖房の風に揺すられてざわざわと音を立てる。僕はその依頼を受けることにした。
翌日の午前四時ごろ、僕の携帯が鳴った。
〈続く〉
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