1、僕とテレアポ

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1、僕とテレアポ

 僕の今のところ唯一の才能は、誰とでもすぐに打ち解けられることだ。ホットケーキの上に乗っけられたバターみたいなもので、ホットケーキの出来栄えとか小麦粉のランクとかチョコチップが入っているかどうかとか、そんなことは関係なく、少しでもあったかければ溶け合うことができる。僕がこの才能に目覚めたのは、ひとえに中学生の頃、毎日のように生命保険のテレアポをかけていたからだ。  僕は授業が終わるとまっすぐ家に帰って、勉強机に備え付けてある固定電話の前に座る。父からもらった長いターゲットリストを広げ、上から順番に電話をかけていく。 「こんにちは、丸太生命の村瀬(むらせ)と申します。奥様でいらっしゃいますか。本日は、ちょっとした保険料で充実の保証が受けられる生命保険の新プランをご紹介......」  ガチャン、ツーツー。  いつものことだ。僕とゆっくり保険について語り合いたい人なんて滅多にいない。100回かけて1回でもアポが取れれば運がいい。  今のは無言のガチャ切り。でも、それだけはやめてほしかった。世の中の人は実にさまざまな理由をつけて電話を切る。夫が不在、妻がお出かけ中、仕事や育児で忙しい、体調が悪い、天ぷらを揚げている......。僕は受話器の向こうにいる人が「あー」とか「うー」とか言いながら電話を切る理由を考えくれる時間が好きだった。とても優しさを感じるし、唯一その人と繋がりを感じる瞬間だった。  五時間くらい電話をかけ続けて、受話器と左手の境界がよくわからなくなったくらいで、父が帰ってくる。僕が上手くアポを取れないと父は不機嫌になり、運が悪いと顔を殴られた。虫の居所が悪いときの口癖は「掃除をしろ!」だった。家の中がどんなに綺麗でちりひとつ落ちていなかったとしても、父はそう言った。父にとって掃除をすることは本質的に罰則行為らしかった。  アポが取れた日は、父は僕になんでも好きなものを食べさせてくれた。駅の近くにあるチェーン店のステーキハウスでカットステーキにかぶりつくことは、僕の人生の中で屈指の喜びだった。大学生になった今、一人で同じステーキを食べたことがあるけど、アポを取った後のステーキの味には圧倒的に及ばなかった。  僕は何千本と保険の営業電話をかける中で、人と話す術を身につけた。それは歩道と車道の間にある縁石を歩くようなものだ。相手に向かって伸びる縁石の上をゆっくりと一歩ずつ歩んでいく。少し興味を持ってもらったら、バランスを崩すふりをするんだ。その時に手を差し伸べてもらえたら僕たちはもう友達。そうでなければあっさり歩道に降りて、踵を返せばいい。  僕のやり方は大学でとても上手くいった。たくさんの友達ができて、いろんな話を聞いた。その中から、いくつかの出来事や人々について話そうと思う。人生を揺るがすような大事件っていうのはあんまりなかったけれど、どれも僕の心に少し引っかかるエピソードたちだ。これを聞いている君たちが、どのように感じるのかを僕は知りたい。 〈続く〉  
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