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帰宅してすぐに隣にいくと、すでに陽彩の好きなミルクティーが用意されていて、行動を読まれているようでどこか落ちつかなかった。
「あれはだめ」
教室でのことを言うと、高臣はしゅんとした。大きな身体が肩を落として小さくなっている。
「だって」
「だってじゃない」
陽彩は恥ずかしいし女子が怖いしで、血の気が引いた。反省している様子を見せてはいるが、本当にわかっているのだろうか。
「じゃあ陽彩は恋人作らないで」
「そんなのになりたがる人いないよ」
「俺はすごくなりたい」
反省する気はなさそうだ。しゅんとしていたのも十秒ほどだった。本当に困った男だと思うのに、その好意はどこかくすぐったくて照れくささも生まれる。
「ねえ、陽彩」
「な、なに?」
顔を覗き込まれ、少し身体を引く。距離を作った分だけ近づかれ、結局顔が近い。
「好きだよ」
こういう言葉をはっきりと口に出されると、どうしたらいいかわからなくなる。慣れないのもあるが、それ以上に高臣の真剣さに戸惑う。
「そういうことは言わなくていいよ」
逃げるように身体の向きを変えて、顔を膝にうずめる。どう答えても正解ではない気がするのだ。否定したら高臣を傷つけるだろうし、肯定したらこの男を受け入れることになりそうだ。強く拒絶するほど高臣を嫌いかと聞かれたら、今の彼は嫌いではないので、やはり困る。
背後から陽彩の両肩に手が置かれた。なんとはなしに背筋を伸ばすと、その手に力がこもった。
「言わないと伝わらないから言うんだ。陽彩が好き」
おずおずと振り返ると、澄んだ瞳がその気持ちのまま、まっすぐ陽彩に向けられている。どうしたらいいのか、またわからなくなる。
「陽彩は俺が嫌い?」
「……嫌いではないけど」
恋愛の意味で好きかと聞かれたらわからない。こんなに一心に恋愛感情を向けられることは初めてだし、相手は男子だ。なにもかも未経験で頭の中が整理できないままになっている。
「学校でみんな陽彩を見てた」
「違うだろ」
見ていたにしても、あれは嫉妬の視線だ。ものすごく怖かった。
「俺は陽彩が大好きだから誰にも渡したくない。いいなって思う人いた? いないよね?」
いた、と答えたらどうなるのかと想像してみたら少し怖かった。いないものをいると答える必要はないので「いない」と言ったあとに「けど」をつけ加えた。
「いつ誰を好きになるかなんてわからないよ。そのうち誰かに興味を持つかも」
むっとしたように眉を寄せる高臣は、拗ねた子どものように瞳を揺らす。そんな反応を返されると本当に困る。
「陽彩に興味を持つのも、陽彩が興味を持つのも、俺だけでいい」
「でも今日のことは、俺じゃなくて高臣を見てたんだよ」
「俺?」
自分が見られていたことにまったく気がついていないのか。逆にすごいと感心する。高臣は「ふうん」とたいして興味がなさそうに呟いてから破顔した。
「それならよかった。陽彩が俺だけ見ててくれたら、それでいい」
満足げに微笑み、陽彩の肩を揺らす。なんだか可笑しくなってきて、口もとが緩む陽彩を見た高臣は幸せを満面に咲かせる。
「高臣こそ、可愛いなとか思う子いなかったの?」
「陽彩のこと?」
「……」
本当に女子などどうでもいいのが伝わってくる。そこまで陽彩にこだわる理由はなんなのか。昔の意地悪に対して申し訳ないと思っているからだろうか、と考えて、それにしては気持ちが重い、と首をかしげる。
「もう意地悪のことは気にしてないよ」
「そうなの?」
「うん。だから俺のことは――」
そこまでかまわなくていい、そう言おうとして、なぜか胸にとげが刺さった。不思議な痛みにまた首を傾ける。
そんな陽彩の肩を優しく撫でる手はしっかりしていて大きい。
「じゃあ俺を好きになって」
結局そうなるようだ。高臣はもともとこういう人だっただろうかと思い返してみて、気に入ったおもちゃはずっと大事にしていたことが頭に蘇る。それでも陽彩が「貸して」というと貸してくれた。なんとなく今の構図と似ていて、ため息が出た。
「どうしたの?」
「ううん。俺っておもちゃと同列かなと思って」
呆気にとられたような表情のあとに高臣が声をあげて笑った。それほど変なことを言ったつもりはないのだが、そこだけ切り取ると笑える言葉だったのかもしれない。
「陽彩がおもちゃだったら、俺がずっと持ち歩けるのにね」
陽彩のことになるとこんなに幸せそうな表情をする高臣が、昔の姿とまだ繋がらないときがある。だが、「そうだよ」と教えてくれるようにそばにいてひたすら陽彩だけを見ている。
過去の自分に教えてあげたい。将来、この意地悪な男の子は陽彩にべったりくっついて離れなくなるんだよ、と。絶対信じないだろう。
「お腹空かない?」
陽彩が切り出すと、高臣は噴き出した。
「お昼にパン三つも食べてたのに」
「だってお腹空いちゃった」
「可愛いな」
手を握ろうとしてくるので、慌ててよける。残念そうに陽彩の手を見つめているが、そんな目をしてもだめだ。
「なにか食べにいこうか」
「うん」
新條家を出て駅に向かうとファストフード店が見えた。陽彩が大好きなメニューがあるので、そこに入った。自動ドアをくぐるだけで腹が鳴る。陽彩がえびカツバーガーを頼むと、高臣が目を丸くした。
「陽彩、えび好きになったの?」
「昔から好きだよ?」
「でも、いつも残して――」
高臣ははっとしたように動きを止めてから、「嘘だろ」と片手で顔を覆った。
「どうした?」
「……俺、陽彩がえび嫌いだと思ってた」
「好きだよ。だからいつも最後に残してた。高臣が食べちゃったけど」
なんとも表現できない複雑な顔をした高臣は首を横に振る。大きな息をついてから薄い唇が動いた。
「陽彩がえび嫌いなんだと思って食べてあげてるつもりだった……」
今度は陽彩が目を丸くする番だった。
「だって、いつもえびを見つけるとお皿のすみに寄せるから……嫌いなんだろうなって」
「ううん。最後に食べたくて取っておいてただけだよ」
「ええ……」
今になって知った事実に唖然とする。そんな勘違いがあったとは。陽彩にとっては一番の意地悪だと思っていた行為は、彼からしたら親切だったのだ。
「これからは聞いてくれると嬉しいな」
「うん。ごめん」
すっかりしゅんとした高臣が可愛く見える。背が高くて体格のいい高臣が肩を落としている姿は、たしかに反省していることが見て取れて可笑しい。思わず笑うと、高臣が目を瞬かせた。
「陽彩?」
「だって高臣、可笑しいよ」
腹を抱えて笑う陽彩を見て、高臣は微笑む。とても嬉しそうだ。
「陽彩、可愛い」
「可愛くないよ」
ふたりでえびカツバーガーを食べながら昔の話をする。不思議なほど穏やかに、高臣のした意地悪の話ができた。「どんくさい」が「可愛い」という意味で言っていたなんて、本人から聞かなければ絶対わからない。見たことがない虫を持ってきては驚かせるのも、陽彩に珍しいものを見せたいだけだったとか。
「いつも陽彩を守ってあげたいだけだったんだ」
「意地悪だと思ってたけど、意地悪ではなかったんだね」
苦笑する陽彩に、高臣は恥ずかしそうに頬を赤く染める。ドリンクのストローをくるくると動かしながら「ごめんね」と謝られた。
「俺、不器用なのかな。あの頃は本気で陽彩に優しくしてるつもりだった。えびを食べてあげてたことも」
「俺にとっては『食べられてた』だけど」
また笑いが込みあげてきた。
幼い頃のこと、離れていた間のこと、これからやりたいこと。いつまでも話題が尽きず、いろいろな話をする。高臣は陽彩のする話を大事そうに、ひとつひとつ丁寧に相槌を打って聞いてくれた。楽しくて時間を忘れて話し込んだ。
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