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もう長く高臣と会話をしていない。今日も女子に囲まれている高臣を見るだけか、とぼんやりしながら登校すると、教室の前でふたりの女子が話し込んでいた。それはいつも高臣を囲む輪にいる女子だった。
「今日こそ絶対に高臣くんに告白する」
「高臣くんはみんなのものって抜け駆け禁止されてるじゃん」
「いいの。つきあっちゃえばこっちのもの」
こそこそと話しているふたりが陽彩に気がつき、慌てた様子で教室に入っていく。陽彩は動けない。
今聞いた言葉がずんと重く響く。告白、つきあう――高臣が女子と。
想像したら身体が強張った。本当に陽彩から離れていく。高臣があの女子とつきあったら、陽彩ばかり見ていたように彼女を見るようになる。優しい言葉をかけて、甘い微笑みを向ける――。
恐る恐る教室に入ると、いつものように高臣の席の周りに女子が群がっている。先ほどの女子がさりげなく輪の中心に進み、高臣に近づくのが見えて、焦りにいても立ってもいられなくなった。
「ちょっとなに?」
「なんなの、佐坂」
気がついたら女子をかき分け、輪の中心の高臣の手を掴んでいた。唖然と陽彩を見あげる高臣は、力のない瞳をしている。
「高臣くんをどこ連れてくの!」
「今みんなでしゃべってるんだから、邪魔しないでよ!」
「佐坂、聞いてんの?」
高臣を連れ出すと、女子たちから文句が次々あがったが無視をする。そのまま廊下を早足で歩いた。わずかに背後を振り返ると、高臣も状況が呑み込めない顔でついてきている。それでも手は振り払われなかった。
「陽彩、どうしたの?」
「……抜け駆けしていい?」
確認すると、なんのことかわからないという様子で首をかしげる。明らかに困惑しているという瞳をしていて、勇気を出せ、と陽彩は自分を鼓舞した。
どこに連れていくか悩んで、ひと気のない中庭についた。手を離して向かい合うと、落ちつかないようで高臣が陽彩の触れていた部分を握る。
「抜け駆けってなに?」
久々に聞く高臣の声は低くて柔らかい。抜け駆けのことについては、当人は知らないようだ。
「俺、高臣が好きみたい」
「え……」
「好きみたいだから、そばにいてよ」
もう高臣の中で陽彩の存在が薄れていたら、と考えたら自信がなくなって語尾が消えかけた。それでもきちんと聞こえたようで、高臣は目を見開いたまま動きが止まっている。
「ひどいこと言ってごめん。俺のこと嫌いになってなかったら、また毎日『好き』って言って頭撫でて」
自分でもめちゃくちゃだとは思う。恥ずかしいと拒絶しておきながら、それをしてくれと言っているのだから。それでも高臣を失うことに比べたら、羞恥などなんでもない。
「いいの? 迷惑じゃない?」
「迷惑だったらこんなこと言わない。人目のあるところではちょっと恥ずかしいけど、……いいよ」
頬が熱く火照る。まっすぐ顔を見られていることが恥ずかしくて徐々に俯いていく。高臣はどんな表情をしているだろう。だが、それを確認するのも恥ずかしかった。
「俺のこと、苦手じゃなくなった?」
「うん。苦手だったら抜け駆けなんてしない」
そもそも苦手意識はとっくになくなっていた。今は高臣が信頼できる人だとわかる。そんな高臣に好かれて、陽彩はずっと戸惑いながらも嬉しかった。
「あのさ。抜け駆けってなに?」
「だって高臣はみんなのものなんでしょ?」
きょとんと呆気にとられたような高臣が声をあげて笑い出した。これ以上可笑しいことはないというように腹を抱えて笑っている。
「みんなのものじゃないよ。陽彩が望んでくれるなら、陽彩だけのもの」
笑いすぎて目尻に溜まった涙を指で拭いながら陽彩を見る。その姿はとても綺麗だった。なにをしていても恰好いいのはずるいけれど、そんな高臣が好きだ。
「うん。俺、高臣と一緒にいたい」
高臣の手にそっと触れると、ぎゅっと握り返された。その力強さに、高臣だ、と思う。優しい笑顔を陽彩に向けてくれる、一心に陽彩だけを見てくれる高臣。
「意地悪はもう二度としないけど、そんなに可愛いといじめてしまいそう」
表情をくしゃくしゃにして笑う高臣のほうが可愛い。つい見入ると、両手が伸びてきた。いじめられるのだろうか、と陽彩が一瞬身がまえると手が止まった。
「……いじめる?」
「いじめる」
力いっぱいという様子で抱きしめられ、額にキスをされた。頬が猛烈に熱くなり、離れようとしても逃げられなかった。
「もっといじめていい?」
「だめ」
心臓に悪すぎる、と顔を隠すと頭を撫でられた。穏やかな手つきはそのままで、つい視線をあげてしまうともう一度きつく抱きしめられた。
「高臣はまだ俺が好き?」
「好きだよ。陽彩しか好きじゃない。迷惑かけてるだけだったと思って距離おいてたけど、すごくつらくて寂しかった」
すぐそばにある高臣の睫毛がかすかに揺れている。そこまで傷つけたことに対して「ごめん」と口にするが、高臣は首を横に振った。
「陽彩が好きなんだ」
「うん」
至近距離で顔を覗き込まれ、心音が耳に響く。どきどきと瞼をおろすと、鼻をつままれた。
「なにすんの!」
「可愛い子ってどうしていじめたくなるんだろう」
瞳を揺らして笑う高臣に、陽彩まで涙が込みあげた。高臣の首に腕をまわし、陽彩からも抱きつく。好き……好き、何度言っても気持ちを全部伝えられないようでもどかしい。それでも高臣は、世界中の幸せをひとり占めしたような、あの綺麗な笑みを見せてくれた。
「陽彩」
「なに……わ」
「陽彩」
名前を呼んでは頭を撫でる高臣に、仕方がないな、と受け入れる。少し俯くと、ぎゅっと抱きしめられた。
「好き」
突然の抱擁に慌てる。ここは教室で、周りでクラスメイトが見ているのだ。高臣に近づけなくなった女子たちからは睨まれ、他の生徒は「なにかやってる」とおもしろい見世物で眺めるように高臣と陽彩を見ている。はっきり言って恥ずかしい。高臣はそんな視線などまったく気にせず、幸せそうに目を細めて陽彩を見つめる。
「佐坂、早く別れてよ!」
「私たちの高臣くんだったのに!」
文句を言われる日々は、最初は怖かったけれど高臣が守ってくれる。
「絶対別れない」
陽彩ではなく高臣がはっきり宣言すると、あちらこちらから重いため息が聞こえてくる。こんなやりとりも徐々に慣れてきて、女子の視線の怖さも薄らいだ。
つきあうようになってから、高臣は人前でもどこでも陽彩を抱きしめる。きゅっと腕の中に閉じ込められ、陽彩も受け入れてしまう。
「陽彩」
顔が近づいてきて、さすがにそれはだめだと逃げると捕まった。
「ふたりきりでゆっくりしようね」
ときどきこうやっていじめられるけれど、羞恥に頬を熱くする陽彩を愛でる瞳は優しくて、つられて幸せな気持ちになれた。
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