松脂ぱちぱち

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 練習場は1階の角を曲がった先にある。岡本は鍵を開け、重そうな扉を開いた。下京キャンパスの音楽練習場もそうだが、二重の防音扉になっていて、下駄箱の奥にもうひとつ扉がある。  泰生は岡本に倣って、靴を脱ぎ靴下のまま中に入った。広々として窓の無い、一瞬聴覚を奪われたかと錯覚する空間。 「ふうん、下京で吹部が使うてる練習場よりちょっと広いな」  泰生が言うと、そうらしいな、と岡本は応じた。 「でもあっちのほうが新しいし、ええこともありそうやけど」  岡本は練習場の右奥に向かい、もう1本の鍵で引き戸を開けた。楽器庫である。こまこまと大小の弦楽器のケースが並んでいた。 「狭いやろ? 管楽器は外に出て隣の小部屋に置いてんねん、夏は湿度がやばいからクラリネットとオーボエはこっちに引っ越して来るんや」  岡本が指差した楽器庫の隅に、四角いケースが遠慮がちに幾つか並んでいた。  岡本はヴァイオリンやヴィオラのケースの間を縫って、自分の楽器を目指した。ついて来いと言わんばかりに目配せしてくるので、泰生は恐る恐る足を踏み入れる。  自分のチェロを抱えながら、岡本は眉を上げて見せた。 「それ、一番隅っこのコントラバスが今誰も触ってへんねん、弾いてみそ」  そう言われることを覚悟していた泰生だが、簡単に首を縦に振るわけにはいかない。 「いや、部員でない人間に簡単に言うな」 「だからお試しやん、楽器の扱い方知ってるんやし初心者の1回生よりはずっと信用してる」  泰生ははっきり言った。 「触ったら入部せなあかんやろ?」 「は? そんなこと俺言うた?」  すっとぼける岡本が、ちょっと憎たらしい。泰生はむっとして、ソフトケースに入った大きな楽器に近づいた。ネックをそっと持ち上げ、ボディを立てると、既にその存在感が懐かしかった。  他の楽器に当たらないよう慎重に運び、楽器庫の外に出ると、岡本はとっとと自分の楽器をケースから出して、弾く準備をしていた。泰生の口調がつい尖る。 「俺、松脂もクロスも何も持ってないんですけど!」 「ヤニも布も貸しますやん」
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