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泰生は咄嗟に、すみません、と言った。この授業はレポートのデータだけでなく、プリントアウトしたものの提出も求められるので、昨夜ざっと目を通した。なのにまさか、表紙からそんなミスをするとは。
塚﨑は笑いながら、手書きしておくように泰生に求めた。
「今日は何かずっと気が散ってるみたいやな、何かあったんか?」
そんな風に言われて、恥ずかしくなった。昨日の音楽練習場での一連の出来事は、確かに泰生の気持ちの平穏を乱していた。
泰生はボールペンを取り出して、レポートの表紙に印刷された自分の名前の上に、学籍番号を書き込む。
ベテランの塚﨑教授は、他人の書いたものやネットのサイトの丸写しをしてレポートを作成したり、出席率や小テストの点数が基準に満たないことに対してつまらない言い訳をしたりすると、即除籍すると評判の人だが、普通に授業を受けていれば、明るくて親切な良い先生だ。泰生はゼミ生として3か月過ごし、割に塚﨑に対して気安くなっていた。
「すみません、とあるクラブから熱心な勧誘を受けてて、ここんとこ微妙な感じで」
そう話すと、塚﨑は微笑した。
「伏見に来てから前のクラブ辞めたんやったかな? あと1年半もあるんやし、よっぽど嫌ちゃうかったら、やっとけ」
塚﨑が部活推進派とは思わなかったので、泰生は驚いた。「あと1年半ある」などという考え方をしたことが無かった。
「……でも、就活も始まるし……」
「部活してますって面接で言えたほうが多少有利なんは、昔も今も変わらんで」
前向きに考えると、確かにそれはある。塚﨑は、諭しモードになった。
「自分が何を勉強してんのか思い出しなさい……人類の長い歴史の中で1人の人間の一生なんか一瞬やから、迷ったことは何でもやってみるくらいでちょうどええはずです」
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