長い人生、気を散らしてなんぼ

3/3

10人が本棚に入れています
本棚に追加
/76ページ
 泰生はそれを聞き、はあ、と思わず答えた。塚﨑は続ける。 「授業の90分でそれはちょっとあかんけど、人生は気を散らすくらいでよろしい」  人生の先輩に言われると、そうかなぁと思ってしまう。 「でも、人間関係ちょっと面倒くさくて……誰かと拗れたらうっとうしいでしょ?」  泰生は一応抵抗してみる。これにも塚﨑は、微笑で返した。 「それも勉強、誰とどう拗れたんか知らんけど、10年後に振り返ったらたぶん大したことちゃうようになってるわ」 「そうですかねぇ」 「そうや、スルーするなり話し合いして解決するなりしていって、対人スキルを高めんの……これは逆説やけど、部活って人間関係だけちゃうやろ? やってみたいことがあるんやったら、それだけで人生儲けもんや」  塚﨑の言葉には、なかなか説得力があるように思えた。気づくと教室の中には2人の他には誰もおらず、塚﨑の昼休みを削ぐのも申し訳ないので、泰生は彼に礼を言った。 「ありがとうございました、失礼します」 「おう、楽しい夏休みを送りなさい」  小学生のような激励を受ける。家族で琵琶湖に泳ぎに行くことも決まっているし、小学校時代回帰ムーブメントかもしれなかった。  泰生はふと気になって、教室を出る前に塚﨑を振り返った。 「先生は学生時代、何か部活してはったんですか?」  回収したレポートを机の上でとんとんと揃えながら、塚﨑はにっと笑った。 「よう訊いてくれた、俺は高校と大学の7年間、マンドリン弾いとった」  泰生は思わず、へぇ、と声を裏返した。繊細でちょっぴり哀しみを帯びた音がする、8本の弦をトレモロで鳴らす楽器だ。古い曲や民族音楽が似合う。 「渋いっすね」 「やろ? 通じてよかった、現役時代それではモテんかったけどな」  得意そうな担当教官に、ちょっと似合わんけど、と言うのは辞めておいた。塚﨑にとっては気を散らしただけなのかもしれないが、それを聞いて渋いと思う自分のような学生がいるなら、いいことに違いない。  弦楽器は楽しい。泰生にとっても、それは紛れの無い事実だった。
/76ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加