岬の人

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 小林は泰生の思う場所に会話を運ばせてくれない。彼は泰生が握るスマートフォンの画面に映る、青い海に気づいた。 「あっ、どっか海行きはるんですか? 管弦楽団の夏合宿は8月の26日からで、そのちょっと前まで夏休みなんで、楽しんできてください」  小林の声を聞いていると、入部する気は無いと今全否定する気力が失せて来た。そう、別に今ここで、彼の前で拒否する必要も無い。 「えっと、合宿ってどこ行くん?」  泰生が社交辞令で尋ねると、小林はラーメンを啜ってから、答えた。 「ハチ高原です、兵庫の養父市、ですかね?」 「あ、吹部と一緒や……山か」 「今、残念がりましたよね? 僕も海がいいって言うたんですけど、楽器に悪いからあかんらしいです……そんで、どこの海調べてはりました?」  小林の押しが強いので、泰生はつい、岡本の故郷を調べていたことを話した。小林は、岡本が加太出身だと知っているようだった。 「僕の父方の田舎もええとこですよ、おススメ」  すっかり小林の調子に乗せられている泰生は、彼の田舎とやらも検索してみる。ごつごつした岩が覗く、少しエメラルドがかった海は、加太と全く表情が違った。 「志摩市阿児(あご)安乗(あのり)……ここも何か初めて聞く土地やわ」 「牡蠣とかサザエ美味いですよ、海女さんが今も潜ってるとこです」 「へぇ……」  岬の灯台が四角いのが特徴だという。中に入ることもできるらしく、これもなかなか興味深い。 「海水浴場ある?」 「あります、砂浜自慢の阿児の松原が、彼女と行くならお薦めです」  泰生は小林の顔を思わず見た。 「彼女ちゃうねん、家族」  小林は、ほう、と丸い目をさらに丸くする。 「家族でもええと思います、加太と迷ってはるんですか? 加太のほうが行きやすいかなぁ」  悔しそうな小林が可笑しい。管弦楽団入ったら、こいつパートの後輩になるんか、と少し思うなどしてしまった。  そんな訳で泰生は、岬の近くから出た海の民たちに、2日間勝手に振り回されたのだった。
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