兄と夕涼み

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「申し訳ないけど、就職して京都脱出できてよかったと思てる……」  友樹は呟いてから、そよと吹いた風に鼻をうごめかすような姿勢になった。泰生もそれを真似ると、匂ったのは夏の緑などではなく、近所の夕飯のカレーだった。  泰生はベランダから、キッチンにいる母に、夕ご飯何? と訊いた。母の返事は早かった。 「焼き鳥と、なすの揚げ浸しと、豆腐とわかめの味噌汁やけど、何?」 「別にいちゃもんはつけてへんで」 「当たり前や、いちゃもんつけるんやったら自分で作り」  何故か喧嘩腰の母に、泰生はむかっとしたが、友樹は小さく笑った。母は友樹にも呼びかける。 「ともちゃん、汗かくから着替えなさい……もうほんま、何でごつい息子にこんなん言わなあかんのやろか」 「何でそんな絡んでくんねん、パートで何かあったんか」 「そんなん、いっつも何かあるわ」  気のいい兄は、笑いながらリビングに入って行った。いつもこんな調子だが、泰生は自分の家が好きである。京都と大阪の境目に位置し、どちらにも電車1本で出ることができて、でも大概のものは近辺で揃うというこの街も好きだ。  この街は七夕伝説のゆかりの地である。だから今は、そこら中に七夕飾りが溢れ、なかなかの風情がある時期だ。  父が帰る時間に合わせて炊飯をセットしていると聞き、着替えを済ませた友樹は缶ビールを2本、冷蔵庫から出してきた。泰生はそれを見てぎょっとしたが、これからもう大学の友人と飲むことも無い(せっかく酒が飲める年齢になったのに)と思うと、相手が兄でもまあいいかと思った。 「何か吹部辞めて、ちょっと腑抜けてる?」  ベランダの手すりに腕をかける友樹に訊かれて、そうかもしれないと泰生は考える。本当ならこの時期は、吹奏楽のコンクールとサマーコンサートの練習で忙しい。もし続けていれば、こうして明るいうちに帰宅して家族と晩酌をするなど、ちょっとあり得ない。
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