蚊取り線香の煙が目に染みる午後

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「石田先生にご用ですか?」  杖をついてゆっくり出てきた老婦人に話しかけられて、泰生はびくりとなった。 「あっ、はい、えっと、お忙しそうですよね? 約束とかしてなくて……」 「今ちょうど勉強会終わったから、大丈夫やと思うよ」  何の勉強会なのかわからないが、のんびりと出てきた老人たちは、暑そうやな、どっかで何か飲んで帰ろか、などと語らっている。老婦人は、下駄箱でスリッパに履き替えたらいいと教えてくれた。  泰生が靴を履き替えていると、ありがたいことに石田牧師が出てきた。彼は眼鏡の奥の目を丸くする。 「こんにちは、いらっしゃい」  そう声をかけられると、一体自分が何をしに来たのかわからなくなる。泰生は言葉を探して深呼吸した。入り口で炊かれている蚊取り線香の匂いが鼻腔をくすぐる。 「礼拝堂にどうぞ」  泰生が言葉を発する前に、石田は言って右手奥に入っていく。ついて行くと、不思議な光景が広がった。古い学校のような窓に囲まれた縦長の部屋には、長椅子がずらりと並び、奥に布が掛けられた祭壇が設えられている。天井も床も木なので、大きな十字架が置いていなければ、一瞬寺とも見間違えそうだった。 「蚊が多いんで、蚊取り線香そこらに置いてますけど、気ぃつけてください」  礼拝堂の入り口にも、渦巻きの線香が置かれていた。泰生は後ろのほうの椅子にちょこんと座り、石田が祭壇の左手の扉から出て行くのを見送る。  何か変なところに入りこんでしもたかも。  和風の礼拝堂は緩い冷房でふわっと涼しかったが、何となく潜伏キリシタンがこっそりミサをしている様子を連想させ、どちらかというと薄気味悪さを泰生に感じさせた。  石田は茶の入ったグラスを載せた盆を手に、礼拝堂に戻ってきた。彼は気楽に泰生の右前の椅子の端に座って、身体をこちらに向ける。お茶の礼を述べた泰生は自己紹介して、最近淡竹で岡本と知り合ったことを話した。
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