蚊取り線香の煙が目に染みる午後

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「ああ、長谷川くんは大阪から通学してはるんやね」 「はい、それで文学部は3回生から、京都駅の近くの下京キャンパスから深草の伏見キャンパスに変わるんです」  麦茶は良く冷えて美味しかった。石田は泰生の大学の事情には通じていないようだが、岡本が大学の部活でチェロを弾いていて、泰生を自分のクラブに誘っているのはうっすら知っていた。 「岡本くんが途中入部で低音の子が来るかもって話してましたね、長谷川くんのことでしたか」 「……そのことなんですけど、ちょっといろいろ迷ってて」  相手が牧師でいかにも話しやすそうだとはいえ、泰生はほぼ見ず知らずの人間に自分の悩みを話すのは生まれて初めてだった。どきどきしたが、もういろいろなことを含めて、引き返せないと思った。 「6月まで別の部活をやってました、そこで仲が良かった同期とちょっと拗れて……僕もどうしたらよかったんか今もわからんくて、ずっと引っかかってて……」  旭陽から恋心を打ち明けられたこと、友達としてこれからもつき合って行きたいと答えたこと。そして、その翌日から、旭陽がよそよそしくなったこと。  旭陽は練習が終わってから、泰生が楽器を片づけるのを待たなくなった。さっさと練習場を後にする。バイバイのひと言も無く帰ってしまい、メッセージも全く寄越さなくなったので、避けられていると気づいた。ある時は、昼休みに食堂で出会ったのに旭陽が気づかないふりをして、連れ立っていた友人と遠くの席に行ってしまった。 「そんな態度取っといて、俺がクラブ辞める言うたら、掌返したみたいに俺がおらんくなったら寂しいとか何とか言うてきて、何やねんって感じ……マジ胸糞」  言葉が止まらなくなった泰生は、言葉が汚くなってきたことに気づき、はっとして口を噤んだ。呆れられたと思い石田の顔を窺うと、彼は温かい微笑を浮かべた。 「それをずっと誰かに言いたかったんやね」
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