蚊取り線香の煙が目に染みる午後

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 泰生の視界が自然と下がる。ぎゅっと握られた両のこぶしは、白くなっていた。石田は静かに続けた。 「その井上くんにしてみたら、たぶんそれこそ清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで、長谷川くんに告白したんやろなぁ……それでやっぱり受け入れてもらえへんかった」  泰生は顔を上げる。拒絶などしなかった。鼻の奥がつんとしてきたのを自覚しながら、訴える。 「俺……僕は、井上とずっと友達でいたかったんです」 「でも井上くんが望んだのはそうやなかった……だからちょっとこれまで通りに長谷川くんと接されへんかったのかもしれへんねぇ、長谷川くんは今までに好きな子から、友達でいましょって言われたこと無いかな?」  石田の言葉に、あっ、と思わず言いそうになる。高校3年生の春、同じクラスの女子に、そう言われて振られたことがあった。泰生はその子をそれ以降無視するようなことはしなかったが、受験体制に入って彼女と自然と距離ができたのでなければ、卒業まで辛かったかもしれなかった。  石田もそんな経験があるのか、微苦笑した。 「友達でいようって、嫌われたんと違うからいいかと思う反面、割としんどくない?」 「……しんどいです……」  別のことに気づいて、泰生はまたはっとする。クラブを辞めるなとあの日引き留めてきた旭陽は、泰生と「友達」でいることを一旦受け入れようとしてくれていたのではないのか。 「……僕もしかして、自分から井上の手ぇ振り払ってしもたんですかね……」  泰生の胸に、ゆっくりと絶望感が広がっていった。視界がぼんやり滲み、蚊取り線香の匂いがやたらと鼻の奥を刺激する。  俺、あほやわ。楽器続けること迷うくらいあいつとの関係にこだわってるのは、俺のほうやった。
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