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店員は面白そうに、いいですね、と笑った。
「管弦楽団なら何人かコントラバスいますよね? 皆さんいろいろお使いなら、お試し会をしてみたらどうでしょう……あ、もしよかったらこれを」
店員は棚の裏のチラシホルダーから、紙を一枚抜いて泰生に手渡した。この楽器店の大阪駅近くの店舗で、弦楽器フェアを開催しているという。
「店舗で取り扱ってる松脂をお試しできる日があるんですよ、お問い合わせなさってみてください」
泰生は驚いた。やはり松脂は、弦楽器奏者にとってそれほど大事なものなのだ。そしてこの間、岡本からチェロの松脂を安易に借りたのは少々まずかったと思い、ひとり密かに反省する。
店員は、泰生の持ってきた松脂のケースの蓋を開けて、失礼しますと言いながら中身に指で触れた。
「ちょっと硬くなってきてますね、コントラバスの松脂は3、4年くらいで限界なので」
やはりそうなのか。コントラバスは図体もやたらデカいし、まったく不経済な奴だと泰生は思った。
店員は、慣れない客に今すぐ決めて買えと言わなかった。おそらく自身も弦楽器奏者で、松脂選びに悩まされたことがあるのだろう。
「まだこれいけますから、研究なさってから買っても遅くないですよ」
「あ、とりあえず他のメンバーが何使ってるかリサーチしてみます……」
親切な店員に申し訳なかったので、弦をきれいに保つためにお薦めだという、ストリングクリーナーを買った。
店員に礼を言って、泰生は楽器店を辞した。松脂はどうも、この夏の自由研究の対象にする必要がありそうだ。三村などはいかにも松脂にこだわっていそうではないか。自分で訊くのは関係性的にまだちょっと微妙なので、岡本にどこの松脂を使っているのか、訊いてもらおうと思った。
泰生は腕時計をちらっと見て、ちょっと楽しい気分になりながら、兄との待ち合わせ場所である書店に向かった。
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