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それとこれとは別なので
雨に濡れたわけでもないはずなのに、その女の子はどこかしっとりとしていた。
「やあ、また出会えたね」
学校からの帰り道なのか半袖のワイシャツを着た中学生ぐらいの男の子がしっとりした彼女にお辞儀をする。
ワイシャツの彼がそのまま横切ろうとするも、しっとりした彼女が黒のショートカットを揺らしてその背中を追いかけた。
「慌てたりして、今日は宿題が多いのかな」
ワイシャツの彼が立ち止まり……追いかけてきていた彼女のほうに肉体の正面を向ける。
「なにが目的なんですか」
「きみと友達になりたいだけだよ。自慢じゃないがわたしにはそういう関係の相手が全くいないのさ」
まあ、正確にはいるんだが……事情があって雨の日にしか会えないんだよね。としっとりした彼女は笑う。
「紫外線アレルギー、とかですか」
「そうだね。雨の日の独特な空気感も好きなんだがやっぱり友達と遊ぶなら太陽の下が一番だろう」
「どうして、ぼくなんですか」
「きみが優しい少年だからさ。今日みたいな晴れの日に生き物を助けた記憶はないかな?」
ワイシャツの彼が首を横に振り、否定をする。
「なんにしても、わたしはきみを気に入った。年上の女にもてあそばれる人生も悪くないはずだぜ」
「イタズラをするつもりなら友達にはなりたくないですね」
「じゃあ大人しくするから友達になってくれ」
はて、友達というものはこういう風につくるものだったかとでも考えているようでワイシャツの彼は表情を曇らせた。
「せっかく誘ってもらったのに申しわけないが……わたしは海水を浴びると小さくなるんだ」
それは大変ですね、などと納得したような言葉を口にしながらもワイシャツの彼は不思議そうに首を傾げている。
「素直に信じてくれるんだね。カナヅチとか自分のプロポーションに自信がないと思いそうなものなのに」
駄菓子屋の前のベンチに座るしっとりした彼女が目の前に立つワイシャツの彼を上目遣いで見る。
「女の子の嫌がることを強要する趣味はないので」
「たまには強引さも必要だろう、とくに恋愛は」
「未だに名前を知らない男女が、恋人同士になれるとは思えないかと」
わたしの名前を知りたいかい? というしっとりした彼女の質問に、ワイシャツの彼はなにも答えなかった。
「なにかあったんですか」
「んー、なかなか鋭いね。さすがわたしの友達だ。遠くに行くことになったんだよね……親の都合とかそういう感じで」
「海に行けないのも」
「いや、本当に海水が苦手なんだよ」
両足をぶらつかせる、しっとりした彼女がコンクリートの上を這うナメクジを見つけた。ワイシャツの彼もそちらに視線を向ける。
ワイシャツの彼がしっとりした彼女と目を合わせた。
「あなたはナメクジなんですか?」
「随分とメルヘンチックだね。ま、今日で会えなくなるから真実を話してあげよう……実はわたしは」
「そこで記憶が途切れているんだ」
「ふーん」
と……ワイシャツの彼の横に立つ同い年ぐらいの女性が唇を尖らせる。まだ雨が止まないのが不服なのか黒い雲を睨みつけていた。
「で、なんでこのタイミングでそんな話を。初対面のはずですよね、わたしたち」
「雨が降るたびにそのことを思い出すのと確認したかったのかもしれない。あの時……別れた女の子が無事に大きくなったのかどうか」
「歯切れが悪いな。やっぱり、まだ名前も思い出せないの」
ワイシャツの彼には悪びれた様子もない。
当時は年齢だけじゃなく身長も抜かれていたのにと女性は言う。
「やっぱり、きみがあの時の女の子なんだね」
「今も女の子なんだけど」
「名前はどうやっても思い出せないんだ」
「うん。知ってる」
「どうして思い出せないんでしょうか?」
「簡単な理由だよ……きみはわたしと事故に遭ったんだ」
海でね。
頭だった。打ちどころが悪かった。
死ななかったが、頭の一部が壊れた。
わたしを認識できない。雨の日は治るらしい。
わたしは海で泳げなくなって、きみは雨が降ってやむたびに忘れてしまう。
学生だったし、やりなおすためにわたしは転校をしたんだよ。
「恋人同士だったんですか?」
「いんや……本当にただの友達だったはずだ。きみの気持ちは分からないけどさ」
「ごめんなさい」
「謝る必要はないよ。運が悪かっただけだよ。それにわたしは結婚をするんだ……きみとはもう出会うこともないだろう」
「そうですか。おめでとうございます」
「ありがとう。わたしはとっても幸せだ」
しばらくして雨がやんだ。ワイシャツの彼の目がどこか冷たくなったのを確認し、女性はなぜか笑みを浮かべている。
「雨、やみましたね」
「ええ、お互いに災難でしたね。ところで」
「はい?」
「すみませんが、あなたのお名前を教えてもらえませんか」
目を丸くした女性を見たからかワイシャツの彼が慌てた。
「ナンパとかではなくて、その……子供がそろそろ産まれるので。あなたの名前を参考にさせてもらえないかと思いまして、不運な縁もありますし」
ワイシャツの彼が左手の薬指の指輪を見せる。
「とても、縁起が悪くありませんか?」
「不幸な出来事とあなたは全く関係ないのでは」
「相変わらずですね」
くすくすと笑い、彼女は涙を浮かべていた。
「わたしの名前はツユミです」
「ツユミさん、とても良い名前だ」
彼女がちらりと時計に視線を向ける。
「では、また。わたしの名前を……忘れないでくださいね」
「ええ。記憶力には自信がありますので」
彼女とワイシャツの彼はお互いに違う方向に歩きはじめた。ひんやりとした風が吹いている。
コンクリートのへっこんだ部分にできていた、水たまりを彼女は軽やかに跳びこえていた。
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