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破局の直前
最近、いつもユリコ様は泣いている。
あの日から68日目の今日も……
「なんだよ! お前、オレに恥かかせる気かよ?」
「……そうじゃないの…… 今月は指名が少なくて、仕方ないの……」
リビングで主人たちの会話を間近で聞きながら、私はそばに立っていた。
主人たちは私の存在を意識せず、続ける。
「今回の生誕祭は正念場だって話していたろう? それがなんだ? シャンパンタワーを値下げしろって?」
「……仕方ないのよ、大口のお客様があなたのことを知って、『彼氏がいるならもう指名は止める』って……」
「そこを引っ張るのがてめえのウデじゃねえか? 上手くごまかせよ!」
「……駄目なの…… あなたの言うように、色恋営業で引っぱってきたから…… 私と結婚したくて、興信所入れて、あなたの存在がバレたの…… 『これ以上、ホストと同棲している女に貢ぐお金はない』って……」
私は、主人たちの言い争いの一部始終を黙って聞いていた。
泣き崩れる私の主人のユリコ様に、ホストのアキラ様が追い打ちをかける。
「お前には、俺のことを思って『トーヨコ』にでも行って身体でも売ってこよう、なんて愛はないのか⁉ お前の愛ってそんなものなのかよ?」
その言葉に、主人は涙を流し始めた。
「泣けば済むって問題じゃねえぞ」
主人の胸元に、アキラ様の腕が近寄る。三原則の一条に抵触する恐れを感じ、危険回避の最適解を計算、スケジューラ-タスクの指定時間を4分56秒早めて、人間が不快を感じる周波数1582ヘルツで音声出力した。
「お嬢様、そろそろお支度のお時間です」
アキラ様は私の方へ向き、主人の胸倉を掴もうとした腕を私に振り上げた。
私は三原則第三条に従って、その腕を45ミリの空間を開けてよけた。
「旧式の木偶人形の割には、ゴキゲンに避けるじゃねえか? いいか、今度は逃げるんじゃねえぞ」
アキラ様はサイドボードにあった酒瓶を、私の頭部に向かって振り下ろした。命令された私は、三原則第二条の拘束により動けない。
私の複合ポリマーの頭部に3.8ニュートンの衝撃を感じた。周辺回路AE35の導線に損傷を確認。私はすぐさまバックアップ機構を開き、損傷回路からの情報伝達のバイパスを指令、更新プログラムインストールのため再起動に入る。
5.2秒の再起動時間、私の瞳の発光が消えたことに満足したアキラ様が部屋から出て行った。
計算通り、主人へ怒りを私に向けることができた。
「リリー。 大丈夫? ありがとう、私をかばってくれたのね?」
主人は、私のナノカーボンでコーティングされた手に触れてそう言った。
「お嬢様は、先代様より保護を命じられた唯一の大切な方です。私がお嬢様の危険を排除いたします」
私は、人間の副交感神経を優位にさせる、528ヘルツの音声出力で答えた。
「あなただけだわ、私のことを大事に思ってくれる、本当の家族……」
主人のユリコ様は、また泣き出してしまった。
私は、自立行動思考回路と、倫理回路に矛盾を感知し、この案件に関し計算不能のループに陥った。
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