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「車を置いていったら俺らはどうやって会社へ戻るんだよ」
「これですよ、これ」と営業は自分の足を叩く。
「徒歩かよっ」、「おれたち個人の荷物はどうすんだよ。担いで戻るのかよ」、「結構な重量になるぞ。わかってんのか?」と不満の声が飛ぶ。
それを営業は、ふふん、と鼻で笑った。
「社までたかだか五キロちょっとですよ? 走ればすぐですよ。まさか僕の足についてこられないとでも?」
「ほざけ若造っ」、「おれの北海道マラソンのタイムを知ってていってるのか?」、「羊蹄山トライアスロンのこと、忘れたわけじゃねえだろうなっ」と荒々しい声が乱れ飛ぶ。
営業は満足そうに笑みを浮かべると「じゃあね師匠。またその笑顔を見せてくださいねー」と柚月へ手をあげた。そして「それっ」と駆け出した。
「抜け駆けかよこの野郎」、「卑怯だぞっ。師匠、またねー」、「師匠―、公武をよろしくー」「師匠―、がんばれよー」、「公武、お前もなー」とほかの社員もひとりまたひとりとグランドから出ていく。
あまりの素早さに柚月は声をかける暇もない。
松前も「では」とバックパックを背負う。そして柚月へ片手をあげる。
「公武のことをお願いします。お互いがんばりましょう、師匠」
「え、あ、ありがとうございました。本当に本当に──ありがとうございましたっ」
駆け出した松前へ大きく手を振る。後ろからも声がする。
「おじちゃんたち、ありがとー」、「気をつけてねー」、「おにぎりおいしかったー」、「ごちそうさまでしたー」、「助かったよー」……。
いいたいこと、伝えたいことは山ほどある。
みなさんだって被災者なのに無償でこんなにがんばってくれて、どれだけ助かったか。どれだけ感謝をしても足りない。
松前が校門の角を曲がり切るまで手をあげているのが見えた。その姿が見えなくなって、ほうっと息をはく。「ねえねえ」と五歳くらいの男の子が柚月の手を握ってきた。
「どうしてお姉ちゃんはシショウなの?」
えっと、と言葉に詰まる柚月へ公武が代わりに答える。
「お姉ちゃんは実はさ、『おにぎりん』の師匠なんだよ」
ええっ、と男の子だけではなく、近くにいた女の子やその兄弟が一斉に声をあげた。その両親らしい大人まで大きく口を開けている。「すっげー」、「かっけー」、「師匠ってなに?」、「先生って意味だよ」、「お姉ちゃん、すごーい」と声があがる。
たまらず柚月は両手で顔をおおった。
「恥ずかしいからやめてほしい」
「いいじゃないですか」
「公武さんまでそんなことを」
「まぎれもなく柚月さんは僕と『おにぎりん』の師匠です。これからもどうぞご指導をお願いいたします」
公武は誇らしそうな顔をして柚月へ丁寧に頭をさげた。
*
その翌日のことである。
柚月のスマートフォンに長い長いメッセージが届いた。
陽翔からだった。
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