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浴衣を着て、花火を見たかったのだ。
この非常時に浮かれた行為だとはわかっている。
たぶん──避難所の中学の同級生にはよくは思われないだろう。それでも、いつもと違う姿で公武へ自分の思いを伝えたかった。
小清水に着付けを手伝ってもらえたらと思っていたけれど、この明るい室内を見て気持ちが変わった。この場所でひとりで着てみたい。その思いが強くなる。「あの」と公武へ声をかけた。
「着替えてもいいでしょうか。……三十分くらいかかりそうなんですけど」
「構いませんよ。ゆっくりなさってください。僕はここで待たせていただきますね。ただ、地震があったらあがらせていただきます」
「そんな。どうぞあがってください」
「いけません。乙部先生に叱られます」
公武の頑固さはこのひと月少しでよくわかっている。では、と折れて自室へ入った。
浴衣をベッドの上へ広げる。
淡黄色の地へ菊模様の浴衣、それに紺と桃色の半幅帯だ。祖母がそろえてくれたものだ。先に髪をアップにして、それから、と鏡の前で悪戦苦闘だ。
数十分かけてなんとか形にする。おばあちゃんに習っておいてよかった。
開け放した玄関扉へ「お待たせしました」と声をかけた。
「もういいんですか?」と顔をあげた公武が目を見開いた。
まばたきもせず柚月を見つめ、呆けた顔つきのまま「……きれいだ」とつぶやいた。嬉しくて柚月はそっと視線を伏せた。
「あ、あの、僕も着替えていいでしょうか」
「もちろんです。どうぞ中へ」
「いえ、ここで結構です。扉だけ開けたままにしていただけますか? この灯りで十分です。誰もいませんし、すぐにすみますから中で待っていてください」
そういうやいなや、公武は玄関扉の向こうへいってしまった。
えっと、あの、と視線を揺らす。じゃあ、いまのうちになにかしておこうかな。
「そうだ。お父さんにメモとか?」
ふと視線を巡らし、玄関キャビネットにメモがあるのに気づいた。
読み進めて鼻先が熱くなる。
……お父さん、自分だってすっごく疲れているのに。大変なことばっかりなのに。それなのに──いつもわたしのことをこんなに考えてくれて。
メモを強く胸に当てる。……ありがとう。
「お待たせしました」という公武の声で我に返る。十分もたっていない。
「本当に早いですね」といいかけて、今度は柚月が目を見開いた。
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