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「ごちそーさん」と食器を流しへ片づけて、阿寒の名刺を片手に仕事部屋へ入っていった。
「わたしはまだ食べているのにー」
頬を膨らませてハンバーグを口へ入れる。
大根おろしも甘くすれたし、シソの風味が爽やかだ。お父さんにもこれをわかってもらいたかったのになあ、と遺影の祖母へ視線を向ける。
やがて仕事部屋から「うお?」とか「はあ?」と声が聞こえた。
なにを見つけたんだか。……気になる。
そそくさと残りのご飯を平らげて、食器もそのままに柚月は巌の仕事部屋へ向かった。
開けっ放しだったドアから顔をのぞかせると、巌が振り返って「ほれ」と顎をしゃくった。パソコンモニターを見ろということらしい。
「俺はまったくの専門外だから知らなかったんだけどな」
モニターには何ページにも渡って『阿寒公武』の文字があった。
「え? すごい。有名人?」
「機械学習業界っつうかディープラーニング業界ではそこそこメジャーらしいな。ドクター取る前から結構期待の新人あつかいされていたっぽい」
「ドクター? 博士号を持っているってこと? すごい」
「俺だって持ってる」
「ああはいはい」
「なんだよ、俺だってすごいだろう」と阿寒に張り合いながら巌は「こいつ、京都の大学を出ている。出身もそっちらしい」と続けた。
「きょうとだいがく?」
思わずひらがなで聞き返した。
そんなにすごい人だったなんて。おにぎりを追いかける姿からは想像もつかない。
「こんなやつがどうして民間にいるんだ? その大学で助教もやっていたみたいだしよ。科研も小さいやつだが二つ持っていたぞ。業績だって結構ある。それなのに握り飯? わけわかんねえな」
「そういえば、会社では最年少だっていってた」
「とすると縁故問題か? 就職せざるを得なかったってか? ──苦労人かよ」
なんだよもう、と巌は嫌そうにパソコンのメールソフトを開く。
「日曜でいいんだな?」
「返事をしてくれるの?」
「俺も一緒にいってやる」
「えー」
「だってお前、いくなら弁当作っていくだろう?」
「あ、そっか。おにぎりは阿寒さんのがあるとして、おかずは作った方がいいかな。なにがいいかな。とり天? チーズちくわ天?」
「そういうのが悔しいっつってんだよっ」と吠えつつ巌は送信ボタンをクリックする。
「普段もお弁当を作っているでしょう?」
「大学へ持っていく弁当と休みの日に食う弁当はぜんぜん違うっ」
「どう違うのよ」と呆れていると「お」と巌が声をあげる。
「返事がきたぞ」
「早すぎるでしょう?」
「パソコンに張りついてメールを待っていたんじゃねえのか? 俺も是非一緒にとある。大学のアドレスで送ったのが利いたな」
「それ、脅しなんじゃ」
「阿寒がろくでもねえやつだったらどうすんだよ。学歴や業績があったとしても、人間としてまともなやつかどうかはわかんねえだろう」
それ、お父さんがいう? と顎を引く。
声にしていないのに巌は「うるせえよ」と吐き捨てる。自覚があったらしい。
「よおし、日曜な。今度こそピクニックな。ああ、早く日曜にならねえかな」
月曜の夜に、日曜に焦がれる巌なのであった。
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