6.おにぎりは日本の文化だ!

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「大丈夫です。お嬢様には僕が責任をもって対応させていただきます。なんらかの事情で遅くなることがあったとしても、ちゃんとご自宅までお送りします。お嬢様は、僕が守ります」 「──最後のくだり、なんか気に食わねえ」  それから、と阿寒はかしこまる。 「お嬢様にお願いがあります」 「この上まだなんかあんのかよ」 「お父さん」と柚月は巌の膝を叩く。 「大変申し訳ないのですが、僕のことを下の名前で呼んではいただけませんか?」  はあ? と柚月より早く巌が顔をしかめる。 「ふざけるな。会ったばかりの男の下の名前なんて呼ばせられるか」 「おっしゃるとおりなんですが、そこをどうか。苗字を連呼されると駄目出しをされているようで。社内でも苗字ではなく名前を呼んでもらっています。メンタルが弱くて申し訳ありません」  阿寒──あかん。いわずとしれた関西では否定語である。 「そんな提案をしてくるやつの、どのメンタルが弱いんだよ」  こらえきれず柚月はクスクスと笑い声をあげた。そっか。こんなにすごい人でも気弱になるんだ。安心する。 「いいですよ。えっと、『公武さん』でいいですか?」 「おい」とあわてる巌に「お父さんはちょっと黙っていて。話が進まないでしょう」と低い声を出す。しゅんとする巌を気づかいつつ公武は「助かります」と頭をさげた。 「でしたらわたしも下の名前で呼んでください。苗字だと父かわたしか、わかりにくいですし」 「確かに」とうなずく公武の隣で「なにいってんだ」と巌が声を裏返す。 「それは馴れ馴れしいだろう。わかりにくいっつうなら乙部(むすめ)でいいじゃねえか」 「変だから」 「だけどよ」と食いさがる巌をジロリと睨む。「ああもうくそ」と巌は悔しそうに顔をそむけた。公武は笑いをこらえるように咳払いをして柚月へ姿勢を正した。 「早速ですが来週の日曜もお付き合いいただけますか? 今日のおにぎりを参考に調整したおにぎりを持参します。時間と場所は今日と同じでどうでしょう」 「大丈夫です」 「よかったー」と公武の表情がようやく緩む。そんな公武に「もっとお弁当を食べてください」と弁当箱を差し出した。  よっぽどホッとしたのだろう。  公武は磯辺とり天に甘い玉子焼きをもりもり口へ運んでいく。  最後のひとつだった柚月のおにぎりを手に取って、巌が「あ」と声をだしたところで我に返ったらしい。 「すみません」とおにぎりを戻そうとする公武へ巌は「いい、いい」と声を出す。 「もう手に取っちまったんだからさ。食え」 「すみません。──今日のことが心配で昨日からろくに食べていなかったもので。自分でも妙なお願いをするとわかっていましたし、理解していただけるかどうかと不安でして」 「まあなあ」、「そうねえ」と巌と柚月はそろって苦笑する。こういう事情があったとは思ってもみなかった。公武は姿勢を正すと、真剣な面持ちになって丁寧に頭をさげた。 「どうぞ今後ともよろしくお願いいたします」 「お、おお」  公武の折り目正しさに巌が怯む。そんな父を見るのは久々だ。なんていうか、と柚月の頬に笑みが浮かぶ。  公武さんって武士みたいな人だなあ。
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