1.お米には七人の神さまがいるんだよ

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1.お米には七人の神さまがいるんだよ

 だ、か、らー、と巌はスマートフォンに怒鳴った。 「なんで当日にいうんだよ。どうしてお前らは計画性がないんだよ。俺にだって予定があるんだよ。もっと早くいえやー」  どうやら相手は学生らしい。柚月はおにぎりを握る手を止めて巌へ顔を向けた。巌は険しい顔つきのまま柚月へ背を向ける。 「『じゃあついてこなくていいです』じゃねえよボケっ。そういう問題じゃねえし、それが指導教員にいう言葉か?」 『だけど先生は教授会や運営委員会とかでいつもいないでしょっ』と学生の大声が通話口から漏れ聞こえた。『いついえとっ』と相手も切れ気味だ。  巌の学生なだけはあって威勢がいい。 「俺だって会議なんかにいきたかねえわっ。それにメールで知らせりゃいいだろうがよ。ばっかやろうが。俺の責任問題うんぬんじゃねえわっ。熊が出るだろっ。シーズンだろっ。命の問題だわっ」  ……熊。  そういえば、と思い出す。  テレビでも新聞でもネットニュースでも人里近くで徘徊するヒグマが札幌では問題になっていた。巌の研究室なら野外調査先は当然山だ。熊がいるというより、熊の縄張りを荒しにいくようなものだ。 「とにかく待ってろっ。勝手にいくなよっ」  吐き捨てて巌は通話を切る。そしてまた、我に返ったように背筋を伸ばした。 「あ、あのな、柚月」 「わかった。気をつけてね。お父さんだって熊と戦ったら勝てないから」 「いや多分いかせねえ。熊ハンターの手配をしてからで」 「でも約束の時間には間に合わないでしょう?」  う、と巌は言葉に詰まる。「やっぱ俺も狩猟免許を取って狩猟者登録をしておけば」と身もだえている。  心底やめてほしい。  今日は公武とのおにぎり会の日だ。  巌も当然のように同行するつもりだったが──。 「くそう」と吠えて巌は柚月へ懇願する 。 「俺の分は絶対に残しておいてくれ。つうか、家に置いといてくれ。俺はそのささみのチリソース和えが楽しみだったんだ~」 「わかったから」と巌を追い出し、支度を整えると柚月は颯爽と天陣山へ向かった。  先週に引き続き今日も気持ちのいい青空が広がっている。  ふわふわと綿毛が舞う中、シャワワワと軽やかなエゾハルゼミの声を聞きながら天陣山の斜面をのぼると、早くも公武がレジャーシートを敷いて待っていた。 「お待たせしちゃって」 「僕が早く着きすぎました。本日もよろしくお願いいたします」  公武は深々と柚月へ頭をさげる。 「そんなに丁寧にしていただかなくても」 「いえ、柚月さんは僕の師匠です。どれだけ礼を尽くしても足りません」  ……おお、今日は一段と武士っぽい。 「えっと父は──」 「連絡をいただきました。残念です」 「うるさくなくていいです。二人でたっぷりお弁当をいただきましょう」  柚月は持参した弁当をシートへ広げた。 「おお」と公武は身を乗り出す。けれどすぐに顔をあげるとその隣へ自分のタッパを開き、「では、お願いします」と姿勢を正した。  胡坐ではなく正座だ。思わず柚月も正座になる。 「……阿寒さ、いえ、公武さんはいつもこんな感じなんですか?」 「とおっしゃると?」 「きっちりされているので。胡坐とかはかかないのかなあって」 「かきますよ。毎朝座禅を組むのでそのときに。学生時代からずっと剣道をやっていまして。雑念を払うため習慣にしています」  はあぁ、と柚月はため息をつく。さすがすぎる。 「柚月さんはどうぞ足を崩してください。柚月さんにおにぎりを食べていただいたら僕も崩させていただきます」  なら、と柚月は公武のおにぎりへ手を伸ばした。口へ入れようとしたところで公武が「あ」と声を出した。 「証拠写真を撮って送れと乙部先生のメールにあったんでした」 「証拠?」
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