21人が本棚に入れています
本棚に追加
/80ページ
1.札幌の6月は最高に気持ちがいいんです
ひゃあ、と柚月はあわてて足を引っ込めた。
「ちょっとお父さん。床にハンマーの土が落ちているわ。踏んじゃったでしょう。ちゃんと拭いてから家の中へ入れてよ」
リビングで新聞を読んでいた父・巌が「あー?」と間延びした声をあげた。
「細けえことをいうなよ。それよりお前、なんで俺の仕事部屋にいるんだよ」
「ピクニックで使うレジャーシートがあるかと思って」
ああそれなら、と巌が新聞をおろしたときだ。巌のスマートフォンが鳴った。カリブ海の海賊映画のテーマソング。しかも大音量だ。その音量に負けないほどの大声で「おうっ、俺だっ」と巌はドスの効いた声を出す。
「なんだお前か。休みの日にどうした。ん? 凝灰岩の場所がわかんねえ? ……博士研究員がなにいってんだ? ああ? 怒ってねえよ。呆れてんだよッ。ん? ちょっと待て。お前、どこにいるんだ?」
巌の口調が変わって柚月はリビングへ顔をのぞかせた。巌は新聞を持ったまま仁王立ちで通話をしている。髭面で体格がいいので他人が見たら逃げ出すだろう迫力だ。はあっ? と巌は声を裏返す。
「四年の付き添いで樽前? 聞いてねえっつうか、お前は火山屋じゃねえだろうが。おお? いまの音はなんだ? 小石が降ってきた? あぶねえなあ。しっかりヘルメットをかぶっておけよ。は? 持ってきてねえ?」
ばっかやろうがっ、と巌は吠えた。
「蒸れるとかいってんじゃねえわっ。フィールドの基本だろうがっ。アカハラ? ふざけんなっ。命のが大事だわっ。ああもう、すぐにそこへいくから動かずに待っていろっ。いいなっ」
巌は鼻息あらく通話を終える。それから我に返ったように巌は背筋を伸ばした。そおっと柚月へ振り返る。
「あ、あのな、柚月」
「ピクニックへいけなくなった?」
「えっとあの、すまん」
「お父さんがいきたいって駄々をこねたのに」
「──すまん」
まったくもう。頬を膨らませてダイニングテーブルを見る。できあがったばかりの弁当箱が三つだ。彩りよく詰めたのにな。休みの日なのに早起きしたのにな。……しょうがないなあ。
「気をつけていってらっしゃい。晩御飯は?」
「家で食う。あのな、柚月」
「ポスドクさんの命の危機なんでしょう? 早くいった方がいいわよ」
「そこまでは、いや、そうかもしれねえんだが」
「急いだ方がいいわよ」
巌は「すまん」とうなると仕事部屋へ駆け込んだ。なにやら激しくものをぶつける音がする。やがてヘルメットやらハンマーやらを手に取り、それを壁にぶつけながら玄関へ向かっていく。
靴を履いて巌は柚月へ向き直る。
「すまんっ」
「わかったから」
「すまーんっ」
しつこく繰り返し、巌は嵐のように飛び出していった。
「……あーあ」
最初のコメントを投稿しよう!