23人が本棚に入れています
本棚に追加
/88ページ
6.それはとてつもなく穏やかで心豊かな時間で
学祭明けの日曜日。
今日も風が心地いい好天で、そろそろラベンダーが満開だ。
柚月がいそいそと天陣山へ向かうと、公武は相変わらず既に約束の斜面で待っていた。
「乙部先生から連絡をいただきました。東北の大学へ出張だそうで。お忙しいですねえ」
「静かでいいんですけどね」
「そんなことは」
いいつつ公武はレジャーシートへおにぎりの入った容器を置いた。柚月もその隣へ弁当箱を広げる。
「ではよろしくお願いします」と公武に勧められて、「あら?」と柚月は首をかしげた。
「証拠写真を撮らなくてもいいんですか?」
ああ、と公武は苦笑する。
「もういいといわれました」
「信頼してもらえたってことですね」
「どうでしょうか。僕にそんなつもりはなかったんですが。どうもその、ひとつの画面におにぎりと僕、それに柚月さんが映るのがお気に入らないようで」
「証拠写真なんだから仕方ないでしょう?」
「そうなんですけど」
巌からすると、「なにが悲しくて毎回、娘がほかの男と楽しく弁当を食っているイチャコラ画像を見なくちゃならんのだ」というところらしい。
自分でいい出しておいて、この言い草である。
「勝手な父ですみません」
「いえいえ。乙部先生が心配なさるのも当然です。こんなに素敵な柚月さんなんですから」
「え」と動きを止めると、自分の発言に我に返ったらしい公武が、「あ、いやその」とあわてて「まずこちらからお願いできますか?」と容器を差し出した。
うなずいて、はむっと頬張る。塩昆布がたっぷりと入っていた。
「食べ応えがありますねえ。優しい味わい。好きな味です」
「よかったー。柚月さんにそういっていただけて安心しました。実はこれを食べた上司に『インパクトが薄い』といわれまして。進歩がまったくないかと不安でした」
「優しい味わいなのが上司の方のお口に合わなかったんでしょうか」
「ですが僕は柚月さんのおにぎりを目指したいんです」
「公武さんが思っていらっしゃるわたしのおにぎりって?」
「口に含んだ瞬間、ふわっとして、噛むほどに身体へしみ込むおにぎりです。食べ進むにつれて元気になれる」
聞いているうちに頬が赤らんでくる。
最初のコメントを投稿しよう!