2.母はサンゴの研究者でした

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 黙って柚月の話を聞いていた公武は、創成川(そうせいがわ)が左手に流れるようになったころ、「乙部先生の気持ちはわかります」と声を出した。 「娘を守りたいって、当然でしょう。だけど、いい張るっていうのはちょっと違う気がする」  え? と柚月は公武の横顔を見る。 「現実問題として、柚月さんが一生海を見ないでいるのは無理があります。現に、なにも知らなかった僕がこうしてあなたを海へ連れていこうとしているんですから」 「それは……」と言葉に詰まる柚月へ公武は穏やかな声で続けた。 「そんなことはきっと乙部先生もわかっていると思います」  無茶苦茶な命令をしている。けれどいわずにいられない。  その矛盾に巌も苦悩している──。 「ひょっとしたら乙部先生は、柚月さんに禁じながらも、どこかでそれを破ってくれるのを待っているのかもしれませんね」 「そんなことは」と急き込む柚月に「だって」と公武は朗らかなに声をかぶせた。 「柚月さん、めちゃくちゃサンゴが好きでしょう?」 「え?」 「工学系の僕にはちょっとわからないレベルでやたら詳しい説明でしたよ。かなり勉強をされていますね。……禁じられているからこそ、憧れが強くなったんでしょうか?」  公武の言葉が身体にしみ込む。呆けた表情で顔を正面に戻す。大きく息を吸う。目を閉じた。肩から徐々に力が抜けていくようだ。  ……そうか。そうだ。……そうだったんだ。  サンゴについて──ほとんど無意識に調べていた。  母の研究はどんなだったんだろう。ただ知りたくて、調べまくった。海へいくことはかなわなくても、文献調査までは巌も止める理由がない。  でも、と胸に手を当てる。  いつもどこかで後ろめたかった。 「……サンゴが好きとか嫌いとか、海へいきたいとかどうとか、そんなこと思っちゃ駄目だって思っていました。考えることすらも父が悲しむって思ってたんです」  それくらい、母に関わる話題があると巌の背中は淋しそうだった。  ガチガチにこわばって、やり切れなさが漂って、守れなかった悲しさとか、おいていかれた切なさでいっぱいだった。  たまらずその手をつかんでも、巌は笑みを向けてくれるがまとった空気は変わらないのだ。  だけど、と目を開ける。
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