2.母はサンゴの研究者でした

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「ネット動画でサンゴを観たんです。月夜の晩の産卵動画でした」  初夏の満月あたりの夜。  一斉に産卵するサンゴ。真っ暗な海の中で生み出された小さな卵の群れが波に揺られて、どこまでも伸びていく。その生命の営みの不思議とたくましさ。  まばたきするのも惜しいほどの光景だった。 「それが──海の温度があがって、サンゴたちがピンチになっているっていうんです」 「ああ、聞いたことがあります。サンゴの白化現象ですね」 「そうです。特に浅瀬のサンゴは世界のあちこちの海で大きなダメージを受け続けています。この『海洋熱波』とか『プロブ』と呼ばれているあたたまった海域はあちこちに広がっています。以前は五日程度続いていたものが、いまは数か月続いているものが多いんです。猶予はないとのことです。それを知って──なんとかしたいと強く思うようになりました」  人間が変えた気候変動でサンゴが大ピンチにおちいっている。  ほうっておけない。じっとなんてしていられない。 「母もそうだったのかなって思ったら、切なくてやりきれなくなって」  両手を強く握って視線を落とす。公武も黙って運転を続ける。  ずっとかける言葉を探していたのか。日本海が見える日本海オロロンラインへ入ったあたりで、ようやく公武は口を開いた。 「乙部先生は、あなたが本当にやりたいことを止めるような方ではないと思います」  ゆっくり公武へ顔を向ける。 「それが研究活動ならなおさらです。研究という行為のすばらしさ、それに苦しさをわかっているからこそ、あなたの強い味方になってくれるはずです。違いますか?」  背中から腕へと鳥肌がたつ。 「乙部先生のことだ。一番嫌なのはあなたが我慢すること。それからコソコソやることだと思う。──勇気がいるとは思います。だけど、ぶつかってみるのも一策かもです」  鼻先が熱くなってきて、柚月は大きく息を吸った。  誰かに、こんなふうに胸の内を伝えるのははじめてだった。  海へいくのは禁止されているんだ──、そういえば父子家庭の柚月を気づかって誰もが話を避けてくれた。仁奈と亜里沙もだ。  おばあちゃんにだっていえなかった。だって言葉にすれば、おばあちゃんはきっとお母さんのことを思って悲しくなるから。  だけど、そうか。  わたし、誰かに聞いてほしかったんだ。  こんなふうに、きっと、いってもらいたかった。  しみじみと公武を見る。胸が痛いくらいあたたかくなる。  本当に──本当に……公武さんに出会えて、よかったなあ。
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