5.二人して甘っちょろいことをいってんじゃねえよ

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 巌はそっと手を伸ばし、その太い指先で柚月の額を小突く。そのまま柚月の髪を撫でた。 「それ、母さんの口癖だっつうの」  今度は柚月が目を見張る。「ああもう」と巌が髪を撫でる力が強くなる。 「二人して甘っちょろいことをいってんじゃねえよ。くじけそうだなんていってんなよ」 「お、お父さん?」 「ヤバそうだったらすぐにいえよ。どこにいても飛んでいってやる。昼でも夜でも、海外でもだ。絶対に無茶はするな。一番大事なのは、命だ。研究じゃねえっ」  叫ぶ巌の瞳から涙が飛び散る。  十四年間、巌が胸で繰り返した言葉──お前が一番だった。お前が消えるなんて一番あっちゃならねえことだった。研究なんか、どうでもいいだろう。  そうじゃないのはわかってる。だけどな。俺は、お前に、生きていて欲しかった。そばにいて欲しかった。  隣で、いつまでも、笑っていて欲しかったんだよ──。  ずっと誰にも声にできずにいた巌の言葉。  父のその思いが指先から痛いほど伝わってきた。 「肝に銘じろ。わかったかっ」 「うん」  うなずく柚月の目からも涙がこぼれる。  お父さんがどれだけお母さんを愛していたか。ううん、と胸でいい直す。過去形なんかじゃない。いまなおお父さんはお母さんを愛し続けている。  きっとこれからもどれだけの年月が流れようと、お父さんは変わらずお母さんを思っているんだ。ああ、と胸が熱くなる。まばたきをするたびに涙が落ちる。わたし、お父さんとお母さんの子でよかったなあ。  巌は「ああくっそ」と腕で涙をぬぐい、ティッシュを取ろうとして「いてっ」と声を出した。なにかにけつまずいたらしい。  ヘルメットだった。見ると巌の仕事部屋にもいくつかヘルメットが転がっている。 「また大人数で調査へいくの? でもどうして自宅に?」 「違う。ウチ用だ。小さい地震が頻発しているからな。いつどっかの断層がデカく動いてもおかしくないから用心にだ」 「そういえば学祭が終わってからも毎日地震があるものね」 「地球は人間の都合で動いてねえからな。だからな」 「わたしたちにできるのは『地震を防ぐことじゃなくて地震に備えること』でしょう?」 「わかってりゃいいんだよ」  もう、と笑って立ちあがる。しょうがないなあ。ちょっと手間だけど、がんばっちゃうか。 「晩御飯はくずし豆腐の長ネギたっぷりお味噌汁とオクラおかか」  それから、ともったいをつける。 「チキン南蛮なんてどうかな」 「最高―」  巌は両手を高く突きあげた。
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