3.これが目から鱗が落ちた瞬間である

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3.これが目から鱗が落ちた瞬間である

「おにぎり型とかの道具で作ったんですか? 素手で握ったんですか? ラップ越しですか? 強さは? 8キログラム重くらいですか? 塩の量は? 精製塩ですか? 天然塩? あ、ひょっとして再製加工塩?」  青年の剣幕に驚いて、柚月は座ったまま後ずさる。 「あ、す、すみません」  身を縮めた青年の腹がまた、きゅるる、と鳴った。青年はさらに背中を丸めて、すみません、と繰り返す。柚月は頬を緩めた。 「もっといかがですか? ご覧のとおりたくさんありますし」 「いえあの、どなたかの分では?」 「そうだったんですけど。キャンセルされちゃったのでお気遣いなく」  青年は「ですが、その」としばらく遠慮していたものの、よほど空腹だったのだろう、おずおずとおにぎりへ手を伸ばした。タラコのおにぎりだ。白ゴマを混ぜたご飯の中に焼いタラコをゴロゴロ入れたものだ。  これまた青年はひと口頬張ると口をへの字にして身もだえた。 「──うまいです」 「よかった。しょっぱかったかと思いました」 「絶妙な塩加減です。ゴマの風味も焼きタラコとよく合っている。そしてなによりご飯のふんわり加減が最高です」  それから、と続けようとして語りすぎと気づいたのか、青年は「あ、えっと、とにかく、めちゃくちゃうまいです」と言葉を閉じた。 「そんなにお腹が空いてらっしゃったんですか? それともなにか、おにぎりに大切な思い出とか?」  え、と青年はタラコおにぎりから口を離す。 「特に強い思い出はありません。うーん、そういえば、おにぎりを作ってもらった記憶がないですねえ」 「え? お母様にも?」  声に出して、しまった、と口を閉じる。  ウチみたいにひょっとしてお母さんがいないご家庭かも。いらしてもなにか事情があるとか。  けれど青年はあっけらかんと「買う派だったんです」と続けた。 「幼稚園のときも小学校の遠足も市販品でした。コンビニで手軽に買えますから。両親は仕事で忙しくしていまして」  そういうことか。ホッとする。  それにしてもおにぎりの反応が大げさだ。青年は神妙な顔つきでタラコおにぎりを頬張っていく。最後に指についた米粒も大切そうに舐めとった。さらには余韻を味わうように目を閉じている。  やがて目を開けた青年は、大真面目な顔で柚月に告げた。 「いきなりこんなことをお聞きするのは不躾(ぶしつけ)だと承知していますが」  え? ……なんだろう。身構える。 「おにぎりのレシピを教えていただけないでしょうか」 「は? レシピもなにも、ただ握っただけです」 「ラップ越しですか? 素手ですか」 「えっと、あの」 「塩の分量はどれくらいですか。どれくらいの力加減で、何回握って仕上げますか」  さきほどの質問項目、最初から開始だ。  今度は青年も引くつもりはなさそうで、柚月が答えるのをじっと待っていた。  仕方なく「素手です」とか、「三回握ってカタチを決めようとしていますけど、五回くらいになるかも」とか、「お米は道産米の『ふっくりんこ』です」と、ざっくばらんに伝えていく。  青年は満足そうにうなずきつつスマートフォンへそれを入力していく。 「大変参考になりました。ありがとうございます」とホクホク顔で柚月へ頭をさげる。「よかったです」と返しながら悶々とした気持になる。  ……どうしてこんなにおにぎりにこだわるの? わたしのコメントを聞いてどうするの? なにに使うつもりなの?  けれど結局どれも言葉にすることはできず、「もっとお弁当をいかがですか?」と声を出していた。 「おにぎりだけじゃなくて、ポテトサラダやザンギもよかったら」 「いいんですか?」と青年は目を輝かせる。  ホッとする。どうやらおにぎり以外にも興味がある一般的な青年のようだ。 「この玉子焼き、甘くておいしいですね」 「中途半端に甘いよりガツンと甘い玉子焼きが好きで。祖母がよく作ってくれたんです」 「素敵なおばあ様ですね。淡い味付けもいいですが、弁当にはめりはりのある味付けのほうが僕も好きです」  そこまでいって青年はハッと顔をあげる。 「ひょっとして、これはお付き合いされている方と召しあがるご予定だったのでは?」
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