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普段から巌が口を酸っぱくして「地震に備えろ」といっていた甲斐があり、被害はほぼなかった。
テレビも棚もすべてしっかりと固定をしてある。遺影にすらストッパーをつけてあった。
気になるといえば壁か。リビングだけで五か所以上にヒビが入っていた。
「高耐震マンションで低層棟だから買ったんだけどな。まあそうじゃなかったら倒壊していたか?」
巌は小さく鼻を鳴らして仕事部屋からなにやら器具を取り出した。
折り畳み机サイズのソーラーパネルとポータブル電源だ。さらにはソーラーモバイルバッテリーだ。それらを手際よくベランダ沿いへ設置していく。
「いい天気だからな。たっぷり充電できるだろう」
そういって巌が腰に両手を当てたときだ。巌のスマートフォンからコール音がした。例のカリブ海の海賊映画のテーマ曲だ。
その相変わらずの大音量に負けない声量で「俺だ」と巌は吠える。
「どこがどんな状態だ? データをくれ。おお? 受信できるかだ? くそ、確かに通信速度が急に落ちてきたな。通信基地もヤバいか。ちょい待て。衛星携帯経由にする」
いいつつ巌は予備用バッテリーを手にノートパソコンを起動させて別の大型モバイルフォンを手に取った。
トランシーバーに似た黒くてガッシリとした携帯電話だ。そうするうちにも別のスマートフォンが鳴る。「おう、俺だ」、「落ち着け。順を追って話せ」と三台の携帯電話に対応する。そのうちのひとつは道庁からの電話らしい。
その間も余震は続く。震度4くらいの揺れが何度も起きる。道庁からの対応をしていた巌が「かあっ」と吠えた。
「さっさと対策本部を立ちあげろやっ。なんのためにさんざんシミュレーションしてきたんだよっ。すぐにいくからやっとけ」
鼻息あらく通話を切って、巌は肩で大きく呼吸をする。そして今回はうかがうような声ではなく、「柚月あのな」と神妙な声を出した。
「道庁へいくのね。わかった」
「お、おう」
「どうやって? 車で?」
「チャリにする。信号機が止まっているらしい。たぶん市内全域だな。道路状況もわかんねえし」
巌の愛用自転車はかなりハードなマウンテンバイクだ。本体だけでなく、大容量の荷物を装着させるアクセサリ一式も持っていた。盗難防止のために仕事部屋へ設置してあるのですぐに使える。
「そんでだ」と巌は声をあらためる。
「お前は避難所へいけ」
「え?」
「さんざん打ち合わせてきただろうが。手順通りにあれこれ進んでいれば、一時間後には町内会のやつらも手伝って避難所ができるはずだ。多分、大混乱だろう。お前、手伝いにいってこい。人手が足りないはずだ」
「せっかくソーラーパネルを設置したのに?」
「避難所から一時帰宅したときに充電とかできるほうがいいだろう。蓄電はできるだけ早くはじめたほうがいい」
だが、と巌は声色を変える。
「どうも電話の情報だと、停電についてはいつかの地震みたいな送電系統トラブルじゃすまなさそうだ。すでに石狩と知内、それに苫東厚真発電所からの被害報告があがってる。道庁のやつらは本州からの送電を期待しているみたいだが、それも多分むずかしい」
「どうして」
「この地震、なんか嫌な感じだ。もっと本格的に千島海溝が動くかもしれねえ。そうするとこれで終わりじゃねえ。千島海溝に誘発されて、東北沖、紀伊水道、南海トラフも動く。さらに誘発してあちこちで火山の噴火もありうる。地震は多分、しばらくおさまることはない。心しておけ」
な、と息をのむ。その柚月へ巌が指先を突きつける。
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