3.これが目から鱗が落ちた瞬間である

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 はいっ? と声が裏返る。 「ち、違います。父です。父と食べる予定で。あ、うちは父と二人暮らしで。お付き合いしている方なんていませんし」  わたし、なにをいっているのかな。かあっと顔が熱くなる。  青年も余計なことを口走ったと思ったのか、「あの、その、僕もいませんし」と聞かれもしないことを口にしていた。  互いに目を泳がせて、その視線がぶつかり合う。  あまりの気まずさに思わず笑いが込みあげた。あはは、と二人して声をあげて笑った。なんだかすうっと肩の力が抜けた。  青年が柔らかい笑みを向けた。 「いい場所ですね。近所に住んでいるのに、こんな場所があるなんてぜんぜん知りませんでした」 「はじめて天陣山へいらしたんですか?」 「春先にこちらへ越してきたんですけど、仕事が忙しくてなかなか機会に恵まれなくて」  笑っていた青年が不意に「あ」とジーンズに手をやった。ポケットからスマートフォンを取り出す。着信があったらしい。  それを取り出し液晶画面へ目をやると、青年はみるみる元気がなくなっていく。 「……仕事が入りました」 「お忙しいんですね」    はあ、と小さく返事をして軽く息を吸うと、青年は柚月へ笑みを向けた。 「久々に充実した休みになりました。これほど心底おにぎりがおいしいと思ったことはなかった。貴重なお話もうかがえました。ありがとうございました」 「そんな。褒めすぎです」 「なにかお礼をしたいのですがあいにく手ぶらでして」 「気になさらないでください。わたしもお弁当を食べきれないところでした」 「そういっていただけるとありがたいのですが」と青年は申し訳なさそうな顔になる。  そうこうするうちにも青年のスマートフォンがまた鳴りはじめた。青年は眉をさげてそれを操作し、柚月へ再度頭をさげる。 「本当にありがとうございました。とてもおいしかったです」  立ちあがって、ごちそうさまでした、と腰を折る。青年は荷物を取りに坂をのぼっていく途中も何度か振り返り、律儀に頭をさげていく。  それに会釈を返しつつ笑みがこぼれる。 「変わった人だったなあ」  それに、と胸で続ける。わたし、こんなふうに見ず知らずの大人の人を呼び止めてご飯を勧めるだなんて。自分の大胆さにびっくりした。まだ胸がバクバクする。 「……ひとりピクニックをしたおかげかな?」  胸の奥から『──ワクワクした?』と祖母の声が聞こえた気がした。  うん、とほほ笑む。  楽しかった。おにぎりもあんなに褒めてくれたし、がんばって作った甲斐があった。  そういえば名前も聞かなかったな。近所に住んでいるっていっていたけど、また会えるかな? ……会えたらいいな。  ふんわりとそう思いながら柚月は残りのおにぎりへ手を伸ばした。
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