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巌からの電話だった。
画面をタップするや否や『おう、俺だっ』と巌の吠え声が聞こえた。「お父さん」と返す間もなく声が続く。
『大丈夫か』、『怪我とかしてねえか?』、『あんまり真面目に動くんじゃねえ』、『休み休みにやれや』、『水分補給も忘れるな』、『ちゃんと飯を食えよ』とまくし立てられる。『それから』と低い声が続いた。
『悪いが今日は戻れそうもない』
「あー、そうよね」と答える。それが自分でも驚くほどガッカリした声になった。あわてて手で口元を押さえると『すまん』と巌に謝られた。
「お父さんが謝ることじゃないわ。お父さんはそっちで一生懸命動いてくれているんでしょう?」
ありがとう、と続けると『ああもうっ』と巌が吠えた。ギョッとしてスマートフォンを耳から離す。
『お前、今晩は避難所に泊れ。夜中の地震でマンションが倒壊したらシャレにならねえ』
「怖いことをいわないでよ」
ひとしきり巌はうなると『あのよ』と不機嫌そうな声を出した。
『そこに阿寒がいるだろう』
「どうして公武さんがいるって知っているの?」
『阿寒から連絡をもらった』
だから、とこれまた嫌そうに巌は吠えた。
『なにかあったらヤツに頼れっ』
「え」
『どうしても自宅に戻る必要があったら阿寒についてきてもらえ。町内会のやつにも阿寒は怪しいやつじゃねえから心配ねえって伝えておいたからよ』
わかったなっ、と叫んで巌は通話を切った。「え? ちょっと待って」と続けたけれど間に合わなかった。
「乙部先生、どうかなさったんですか?」
公武が心配そうな顔をしていた。
「あ、いえ、今夜はこっちに泊れという話でした。公武さん、父に連絡をしてくださったんですね。知りませんでした。ありがとうございました」
「非常事態とはいえあなたを置いていくなど、乙部先生はものすごく心配なさっているだろうと思いまして」
「そんな。大げさです」
「お母様のお話をうかがったあとでは、そうは思いません」
あ、と口を閉じる。
胸の奥がシンとした。目元がじわりとあたたかくなる。そうか。こんなふうに考えてくれる人だから、お父さんが信頼するんだ。
鼻をすすって公武へほほ笑む。
「ありがとうございます」
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