虹の麓には·····

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「雨や·····こら、商売なりませんわ」  朝、ちょうど無くなった油を継ぎ足すために、ええ油が売っていないかと市に向かう途中、市のある方から段々雲行きが怪しくなってきた。  そして気が付けば雨が降ってきて、慌てて近くのお寺さんの屋根に逃げれば、同じような考えで雨宿りしているらしい商人らしき男が、ぼやいていた。 「もう今日は市、開かんのでしょうか」  知り合いでもない男につい、話しかけてしまった。話しかけられた男は少し戸惑った表情を浮かべつつもこちらの相手をしてくれるようだ。 「まあ、雲がさほどやから通り雨やろう。せやけど、道が泥だらけやと商売ならんって奴もいるやないか。けど、そんなん気にせんでええとこはやっとるやろな」  せっかく京まで商売しに来たのに、男は最後にそのような一人言を加えつつ、ゆっくりと先ほどまではこちらに向けていた顔を雨を睨みつけるように外へと向けている。  その様が本当に雨が忌々しいと物語っていて、最初に嘆いていた情けない顔から一転大人の男を感じ取ってしまいドキリとした。 (何を考えてるんや。今日はお母はんに頼まれた油買うだけやからって油断した上に、また浮ついたこと考えて)  戻ったら仕事も沢山残っていることを思い出し、早く雨が通り過ぎてくれることをここは寺やから、と内心付け加えつつ仏に祈る。  どれくらい経っただろう。男とは互いぼんやりとした表情で外を見ながら雨音と微かに寺の中から聞こえるお経らしき声くらいしか音のない空間で、雨宿りを続けていた。  軽く話をしたあとから、改めて話すような内容が見つからず、男の言う通り通り雨であれば、すぐに別れる一期一会の関係。自然とお互いに相手へ深入りする気持ちも湧かず、ただ天のなすがままであった。 「お、晴れてきたんやないか」  先程までぼんやりしていた人物とは思えないくらい嬉々とした表情と声で、男は天を指した。つられて男の指が指す方向へと視線を向けると、確かに雲に隠れていた陽の光がゆっくりと顔を出しはじめている。 「これで、市開きます?」 「せやな。まだ昼時ちゃうから幾らかの商売人はおるやろ」  自分も幸い品が土で汚れる心配のないものだから、急げばいい場所で商売ができるだろう。などと男は目算を早速頭の中でつけ始めたらしい。取らぬ狸の皮算用にならねばいいが。  他人事だが、つい要らぬ心配をしてしまった。自分も早く市へと向かって油と、そろそろ夏の衣を新調すると言っていたので、染の材料などもあれば見ておこうか。 「あんたはん。空、見てみなはれ。あれでたら市の場所変わるで」  考えていたところに、声を掛けられてどきりと心の音が鳴った。きっと驚いたからだろう。  気を取り直し、空を見上げた。いつの間にか空は雲すらどこかへ行き、澄んだ色になっている。 「あ、虹や」 「せや、虹や。あの麓では市やっとるはずや」 「なぜ、虹の麓で?」 「知らないんか。あれは境目や、神聖な場所になるからどこが麓になっても市が開かれて宴のようや」  どうやら昔から貴族の家などでは、市を開く慣わしがあるらしい。  幼い頃からそのような場面に行き会ったことがなかったのではじめて知った。  戸惑う私に、男は見かねて右の手を引いて虹の場所まで一緒に連れて行ってくれた。  まさかそれが、私と夫の出逢いになるなんて仏様も神様もビックリなさったことでしょう。  雨上がりの奇跡、ってもんですね。
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