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最悪な再会
秋良は外回りの営業社員が持ち帰った契約書を取りまとめ誤字脱字や記入漏れがないかを照合する業務を担当していた。不備があれば鉛筆で印を書き込み付箋を貼る。これは富山支店で担当していた業務となんら変わりなく作業は着々と進んだ。そんな秋良の作業を阻むもの、それは伊藤翔吾の存在だった。
「黒木課長!ただいま戻りました!」
「お帰りなさい、どうでしたか」
「新規契約1件取って来ました!」
「お疲れ様」
秋良は翔吾に「伊東」から「秋良」と呼び捨てられる様になり、翔吾は秋良に「翔吾さま」と呼ぶ様にとごり押しした。
「ほれ秋良、契約書。チェックしろよ」
心の声A(褒めて、褒めて)
「はい、お疲れ様です」
心の声B(ツンデレかよ、素直じゃねぇなぁ)
心の声C(恥ずかしいんですよ)
そして伊藤翔吾は事ある毎に秋良のデスクに寄りかかっては「なぁ、俺ら会った事あると思わん?」を繰り返した。それは翔吾が終業間際に持ち帰った契約書を秋良が慌てて照合している間も遠慮なく、九官鳥の如く繰り返した。
「あの」
秋良は「うるさい!黙れ!このクソが!」と怒鳴りたい声を押し殺して翔吾の顔を見上げた。確かに顔面偏差値は高い、これが鼻水を垂らして泣いていた翔吾と同一人物であるとは思えなかった。
「あの」
「なんだよ」
「もう終業時間なんです黙っていて貰えませんか」
「秋良が遅ぇのが悪いんじゃん」
「ーーーしょっ、翔吾、さーー伊藤さんが遅いからです!」
「なにがだよ」
「もう少し早く帰って来て下さい!」
心の声C(いやーこりゃ大胆、早く会いたいんだって!)
心の声D(にしちゃ顔、怖くね?)
心の声E(鬼だな)
「なんですか!」
「んにゃ、なんでもないわ」
秋良とすれば翔吾の「会った気がする」が「伊東秋良」に結び付かない記憶能力の乏しさにはいっそ清々しさすら感じた。
(頭でも打ったの?記憶喪失?)
「なんだよ」
「いえ、翔吾さまの記憶能力は凄いなぁーーと」
「だろ!?契約書に間違い無し!」
心の声B(わーい!褒められた!)
心の声A(俺さまは無敵!)
「はい、ここ。ふりがなですが片仮名になっています」
「ーーーーーえ」
「お客さまに訂正印頂いて来て下さい」
「マジかよ」
秋良は思った。
(この10年間の恋心を返せ!)
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