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桜の樹の下で
翔吾はバスに揺られながらこれまでの自身の行いを悔いた。まさか一目惚れした相手が8年前、約束を反故した相手だとは思いも依らなかった。
(しかも名前まで忘れるとか鬼畜すぎるだろ)
大きなため息、吊り革にぶら下がった顔が窓ガラスに映った。
(だっせぇ顔)
そこで携帯電話が振動しLINEメッセージが届いた事を知らせた。
(誰だよ)
翔吾はその目を疑った。思わず携帯電話の画面を二度見して吊り革を手放してしまった。両脚を床に踏ん張りLINEトークをスクロールするとあの場所に来いと塩対応のメッセージが届いていた。
(ま、まじか!)
聖マリアンヌ愛児園に程近いバス停は通り過ぎていた。翔吾は慌てて降車ボタンを押しビジネスリュックから定期券を取り出した。
「おっ、降ります!」
慌てふためいた脚はタラップを一段踏み外した。レンガ畳みの歩道を走り大通りの赤信号で足踏みをした。人の波を掻き分けて急勾配の坂を降りると用水路のせせらぎと柳の樹、翔吾はポツポツと灯る街灯の下を出来る限りの速さで走った。
(ここ、ここか!?)
額に汗が滲み息が上がった。見覚えのある景色、武家屋敷跡の土塀、3階建ての小学校、車2台が擦れ違える狭い道を左折すると懐かしいその場所の桜並木があった。
「あ」
木造の園舎はコンクリート造りに形を変えていたが白い屋根の礼拝堂、教会のステンドグラス、避雷針と十字架、それは見覚えのあるものばかりだった。
「ここ、此処だ」
電信柱の電灯に浮かび上がる白いベンチ、翔吾は小学校5年生の晩秋を思い出した。
(秋良、秋良は)
周囲を見回したがそこに秋良の姿は無かった。もしかしたらこれは8年前の10月30日の仕返しのLINEだったのかもしれない。
(そりゃーーー怒るわなぁ)
翔吾はその場から力無く立ち去ろうとした。するとその時、マリア像の陰から人影が長く伸びた。
「なに、あんたもう帰るつもりなの」
「え」
「根性なしね」
「秋良」
「あの日私はここで6時間あんたが来るのを待っていたのよ」
そこには仁王立ちで腕を組んだ秋良が立っていた。秋良が言うには桜の樹には毛虫が居てベンチには座れないので園庭で話す事になった。
「勝手に入って良いのかよ」
「修道女には確認済みよ」
「そうか」
「あんたみたいに思い付きで生きて居ないもの」
普段の翔吾ならば反論する所だが今夜は違った。
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