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契約先では会議室に通されたが雰囲気は思いの外穏やかだった。秋良が詫びの言葉を伝え深く謝罪をして顔を上げた瞬間、女性保険担当者は言葉を失い頬を赤らめた。
「こ、今度からは気を付けて下さいね」
「はい、申し訳ございませんでした」
「お名前は、えーと伊東あき?」
「伊東秋良です」
「秋良さんね、覚えておきます。これからも宜しくお願いします」
「はい、申し訳ございませんでした」
翔吾はエレベーターホールで必死に笑いを堪えた。
「あの、あのおばさん秋良の顔見て真っ赤になってたな」
「いつもの事よ」
「なに、宝塚かよ」
「似たようなものよ」
「おまえと付き合った男は大変だったろうな」
「ーーーー」
「なに、急に黙んなよ」
ぽーーーん
エレベーターの扉が開き中に乗り込むと箱の中は静けさに包まれ2人だけの時間が流れた。
「3階だっけ」
「私、誰とも付き合った事がないの」
行き先ボタンを押そうとした翔吾の指先が止まった。
「私、誰とも付き合った事がないの」
「あーーー、そうなのか」
「私が好きになった男の子は伊藤翔吾くんだけなの」
「あーーー」
心の声一同(あーーーじゃねーよっ!)
「翔吾が好きなの」
翔吾の指は開閉ボタンの<閉>を押したまま秋良を壁に押し付けた。重なり合う唇、生まれて初めての口付けに秋良は戸惑ったが翔吾の舌の動きを精一杯受け止めた。息継ぎも忘れ熱気が籠った。視線が絡み合う。
「おまえんち行って良い?」
「ーーーー」
「良いんだな」
秋良はパンプスに視線を落とすと小さく頷いた。
「薬屋、寄って良い?」
「薬?」
「あれが要るだろ」
「あれ?」
「ゴムだよゴム、全部言わせんなよ」
「そっ、そんな」
「そんなもこんなも有るか、もう俺のもんにしてぇんだよ」
秋良は翔吾の突然の提案に驚いたが「さすが翔吾さま」と俺様気質に呆れてしまった。そして薬屋に入って行く翔吾を見送った秋良は凍り付いた石像の様に直立不動で紙袋を手に店から出て来るのを待った。
「コンビニ寄ろうぜ」
「まっ、また買うの!」
「ーーーー」
「違うの?」
「おまえ何回するつもりなんだよ」
「ーーー!」
「弁当だよ、弁当」
「あ、お弁当」
その後2人は薬屋の紙袋とコンビニエンスストアのビニール袋を手に、言葉数少なくバスに揺られて秋良の部屋の扉を開けた。
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