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進撃の勘違い女
俺の親父の名前は小田桐鉄次。次男みたいな名前だが長男だ。
代々火振り漁を生業にしている小田桐家の名前には必ず次という文字が入る。これは曾祖父が次男だったことからはじまり、子供の名前に親と同じ漢字を使うと親を超えられないという迷信に由来して、それでも親を超えてみろ、という意味があるらしい。
古くさい価値観だ。
火振り漁が解禁されるのは夏から秋、十二月から年末までの年に二回のみだ。そのため、禁漁である今の時期、親父は主に畑仕事をしながら道具の手入れをしている。
居間いっぱいにフチオキ網を広げながら網のほつれを直したり、隙間に挟まった藻を歯ブラシで落としたり、大きくて硬い手からは想像も付かないほど丁寧に作業を進めていく。
「なあ親父、お袋って料理上手かったのか?」
俺のお袋は俺が小学一年の頃に轢き逃げに遭って死んでいる。そのため、俺の頭のなかに母親の記憶はほとんど無いに等しい。
「あ? なんだよ急に、気持ちわりぃ」
「いや、なんか気になってさ」
俺はスマホ漫画のページをろくに読まずにスクロールしながら訊ねる。
「出会った頃は下手くそだったよ。特に魚に関してはてんで駄目だ。だけど、俺が一から教えてやると、あっと言う間に俺より上手くなりやがった。正直驚いたぜ」
はっきり言って親父の料理はかなりうまい。漁師なだけあって、特に鮎を使った料理に関しては絶品だ。
多感な時期に親の馴れ初めなんて聞きたくはないものだが、どうやら胃袋を掴まれる恋だったわけではないようだ。
俺は今日、極娘が作ってくれた弁当の味を思い出す。
あんなにおいしい弁当を食べたのははじめてかもしれない。親父は畑仕事で朝が早いため、基本的に弁当を作ってくれないからだ。
すると、親父はぴたりと作業の手を止める。
「……女か?」
「ちげぇよ!」
「そういやお前、昨日の帰りも随分と遅かったじゃねえか」
「それは関係ねえって!」
女と言えば女だし、関係大有りなのだが、それはとてもじゃないが恋と呼べるような代物ではない。
「そうかそうか、お前もついにそんな年頃になったのか」
「だからちげぇって言ってるだろ!」
だが、親父は何かを見透かしたつもりになって、にやけヅラのまま作業を再開する。
「さっさと新しい女見付けて、東京に行くだの馬鹿なこと言わなくなったら、俺としても嬉しい限りなんだがな」
この親父はやけに勘が冴える。俺が東京の大学を志望する理由もすぐに見抜かれてしまった。
どうやら火振り漁師は勘というやつが鍛えられるらしい。
新月の夜、灯りの無い真っ暗闇のなか、感覚だけを便りに川底にフチオキ網を仕掛けるからだそうだ。
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