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火振り漁師の年収は決して高くはない。大学まで進学するには学費という名の壁が立ちはだかる。
バイトである程度の学費を自分で稼ごうにも、そもそも俺はほとんどバイトをしたことがない。
何故なら、バイトをするくらいなら家業の手伝いをしろと親父に言われるからだ。
一度だけ高校一年の夏に、親父に黙ってファミレスでバイトをしたことがあるが、性分に合わず一ヶ月で辞めた。
あのときの親父の「ほらな」という顔は今でも覚えている。
親父は毒親と呼べるほど悪い親ではないが、はっきり言ってこういうときの親父は心底腹が立つ。かと言って、俺が親父を悪く言うのは構わないが、他人に親父を悪く言われるのはどこか気に食わない。それだけで親子関係はそこそこ良好と言えるだろう。
俺が東京の大学を目指す原動力は、ある種の惨めさだ。
おそらく上条先輩は俺にその気があるのを察していただろう。にもかかわらず、想いを伝えられなかった自分に対する惨めさだ。
俺はただ単に先輩のあとを追って歩いているだけだ。
この道はあまりにまっすぐすぎて、それ故に寂しく感じるときがある。
作者が誰だかは忘れたが、現文の授業で習ったことがある。鳥は卵から抜け出そうと必死なのだと。
だが、鳥は卵には戻れない。今の俺は少しばかりおセンチな気分なので、どうしても詩的になってしまう。もしかしたら、そっち方面の素質があるのかもしれない。
親父が歯ブラシでフチオキ網をこすると、畳に敷かれた新聞紙の上に固まった藻がぽろぽろと落ちる。
これが十年後の自分の姿であることくらい理解しているつもりだが、どうしても想像してしまうのだ。上条先輩の隣を歩く自分の姿を。
そんな自分の気持ちひとつ理解していない状況のさなか、極娘というさらに理解不能な存在が現れた。
懐かしいが好きという感情に繋がるメカニズムは理解に苦しむが、もし懐かしいに特別な感情があるとしたら、今の俺が上条先輩と再開したときに、懐かしいを感じられるのだろうか。
「おい譲次」と、親父の声に我に返る。「暇してんなら手伝え。小遣い出してやんねえぞ」
俺の小遣いは親父の手伝いに対する歩合制だ。何もしなければその月の小遣いはゼロになってしまう。
俺は藻のにおいが染み付いたフチオキ網のにおいを胸いっぱいに吸い込む。
懐かしさこそ感じるものの、これが好きに繋がるとは到底思えない。
そもそも極娘は、ただ三年前に鉢巻きを貸したというだけで、素性も知らない俺に対して懐かしいと言った。
嗅覚は五感のなかでも特別な感覚。俺は恋というものは頭で考えるものではないと思っていたが、あいつはこの問いに対するヒントを持っているのかもしれない。
もし、次に合う機会があれば、その懐かしいはどこから来る感情なのか訊ねてみたいと思った。
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