始まりの一学期

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 廊下に出てしばらく歩くと、ここはもう二年生の教室ではないことに気付き、慌てて踵を返す。どうりで同級生を見ないわけだ。  すると、俺の胸に小さな頭がぶつかった。 「あ、わりぃ」  俺が謝ると、その女子は黄色の三角タイをしていた。  イチ高の制服のタイは学年ごとに色が異なり、今年は三年生が朱、二年生が翠、一年生が黄であるため、新一年生だ。 「こ、こちらこそ……ごめんなさい」  そう言って新一年生の女子は顔を上げて、度の強そうな眼鏡の位置を直す。  どうして一年生が三年生の教室前にいるのだろうか――ふと気になったが、どうせ自分には関係の無いことだと、俺はそのまま昇降口に向かおうとする。すると、 「あ、あの……!」と、呼び止められる。「小田桐先輩……ですよね?」  急に名前を呼ばれて驚いた。一年生の女子は(すだれ)のような前髪に度の強そうな眼鏡の、見るからに気弱そうな子だ。知っている顔ではない。 「あ、うん。そうだけど……何?」  すると、その子は両手の人差し指をちくちくと合わせながら何かを言おうとしている。  とりあえず言葉を待つ。 「三年前……中学の体育祭のこと……覚えていますか?」  中学の体育祭……と言われても、俺は体育祭はあまり好きではないので全体競技以外は参加しておらず、まだ彼女がいなかった頃の鋼太郎とふざけ合っていた思い出しか無い。  いや、違う。確か途中から鉢巻きをしていなかった。 「あの……これ……」  と、目の前の一年生は真新しいスクールバッグから白い鉢巻きを取り出した。  そうだ。一年生が鉢巻きを失くしたとのことで、同じクラスの色だからというだけの理由で当時の担任から競技に参加しないなら貸してやれと言われた。  そのとき俺は、どうせ中学最後の体育祭だからと、返してもらう約束をすっぽかしてそのまま帰ったのだ。 「ああ、鉢巻きを失くしたっていう……まさか、女子だったのか。ていうか、そんなの今さら返さなくていいよ。じゃ」  それだけ言って立ち去ろうとする俺を「そうじゃないんです!」と、鉢巻きの女子は呼び止める。  そうじゃない?  じゃあ、今さら三年前の鉢巻きなんて持ってなんのつもりだろう。  すると、鉢巻きの女子はもじもじと語り出す。 「その……嗅覚というのは特別な感覚で、視覚、聴覚、味覚、触覚は脳の視床下部という部分を経て大脳辺縁系に到達するんです」 「うん。それで?」 「それで……嗅覚だけは、その……唯一、大脳辺縁系に直接作用する感覚なんです」  何が言いたいのかさっぱりわからない。 「えと……つまり?」
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