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極道の娘
立花葵――それが名前らしい。
帆樽市では名の知れた極道一家の一人娘、言わば極娘だ。
昨晩の一件で完全に寝不足で、さらに両足には未だにコンクリートの重い感触が残っている。とてもじゃないが授業に集中できるような状態じゃあない。
幸か不幸か親父は俺の心配などしていなかった。なんなら自分も若い頃はよく夜遊びしたもんだと、呆れられたものだ。
黒板に刻むチョークの音や数学の方程式が眠気を誘う。
今は少し居眠りした程度でチョークを投げられるような時代ではない。俺は少しばかり机に伏せることにした。
うつらうつら、思考が溶けていくように、眠りに落ちてゆく。
――小田桐ぃ!
部賀の声にびくりと体を起こすと、ちょうど授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
どうやら昨晩の夢を見てしまったらしい。
部賀……お前の声を目覚ましにしたら絶対に寝坊しない自信があるわ。
いや、毎朝あいつに起こされるとか、考えただけでもゾッとするけど。
「おい小田桐」と、鋼太郎が声を掛けてくる。「授業中に居眠りなんて珍しいじゃねえか。新学期早々なんかあったのか?」
「別になんでもねえよ」
本当はなんでもないどころか何かありすぎるのだが、そんなこと言えるはずもない。
「恋か?」
「んなわけねえだろ」
そう、決して恋なんて甘いものではない。
「あっそ。だったらいいけど、一緒に購買行こうぜ」
そう言えば今日は数学の授業が終われば昼休みだった。
もちろん行くと答えたかったが、誰かが開けっ放しにした教室のドアから嫌な影が顔を覗かせた。
立花葵こと極娘だ。
俺と目が合うと、気まずそうにすっと顔を引っ込ませる。
巻き戻し<<昨晩。
「このお方こそ青柳会立花組の六代目組長、立花彦斎の一人娘、立花葵嬢よ」
そう言って部賀は両手のひらで仰々しく極娘を示す。
「部賀さん……そういうのいいんで……頭、上げてもらえます?」
極娘のひと声で片膝立ちになっていた部賀と、三人の舎弟――以下、シャドルー四天王とする――は、しゃきっと姿勢を正した。
そして極娘は、俺に申し訳なさそうに深々と頭を下げた。
「ごめんなさい……本当はこんなこと、知られたくなかったのに……」
俺はまず、靴下を履くために固まりかけのコンクリートから抜けた足を拭くのに必死だった。
「あ、いや……なんか、おかげで助かった」
もとはと言えばこいつのせいだと言うのに、我ながらすっとぼけた受け答えをした。
しかし、指の隙間に入り込んだコンクリートがなかなか落ちてくれない。
「あの……私にできることがあれば、何かお詫びをさせてください」
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