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梅雨だなぁ。
そんな事を考えながら俺は昇降口で傘を広げる。
「おっ、閃貴も今かえり?」
俺は、自分を呼ぶ声がしたので、声の主の方へと顔を向ける。
「あぁ、ヱルか。そうだよ今日は部活ないのか?」
俺を呼んだのは幼馴染のヱルだった。
「今日は、女テニは雨なのでお休みなんだよ。一緒に帰ろうか。それとも相合傘でもする? しちゃう?」
「相合傘ね……。まっ、それもいいが、肩が濡れるので却下だ」
「はぁぁ~~閃貴、そこはチョット照れたり、『ばっ、バカ云うなよ』とか言葉を詰まらせるところじゃないの?」
「……お前は、俺に何を求めているんだ? 俺は初心なラブコメ主人公か?」
小学生じゃあるまいし、今更相合傘くらいで、ドキドキなどしない。
そもそも、こいつとは何度も傘を共有しているので、それくらいではドキドキなんてしない。
俺達が、昇降口でそんな会話をしていると、通行の邪魔だったのだろう。俺達を注意する声が後方から発せられた。
「ちょっと、そこの付き合って10年見たいな会話をしているお二人さん。道を開けてもらってもいいかな?」
俺達二人の間に入って来たのは、ヱルの友達であり俺たちのクラスメイトの正木聚楽さんだった。
「正木さん……それは大きな誤解です。俺には彼女なんていませんから。現在募集中なんですよ」
「あら、じゃぁ、私が立候補してもいいのかしら?」
ドクン。
あっ、チョット鼓動が、早くなっているのを感じる。
「えっ、正木さんがですか? そりゃぁ喜んでお受けいたします。じゃぁ、今日から聚楽って呼びまっっ痛てええぇえええ!」
「あっ、ゴメン。つい、こんな所にツネリたい腕があったものだから」
ヱルは悪びれも無く、躊躇する事も無く、俺の左腕をツネった。
「ツネリたい腕ってなんだよ。そんなの聞いたこと無いぞ」
「あらそう? ほら、プチプチって潰したくなるじゃない?」
「……あぁ、緩衝材な。まぁ分かる。確かに見ると一個ずつ潰したくなるよな」
「こたつの上のみかん。そんなに食べたくなくても、手を伸ばすでしょ」
「……あぁ、みかんな。確かに用もなく、一個は食べるよな。別にそんなに食べたいわけじゃ無いのにな」
「閃貴の腕。無性にツネりたくなるでしょう」
「……あぁ、……って、ならねーよ! トースターのツマミじゃねぇんだよ!」
「フフフ」
突如として、横にいた正木さんが笑い始めた。
「ホント、二人は仲が良いのね。私の入るスキは広げないといけなさそうね」
「正木さん、安心してください。こいつ追い出せば、入るスキなんてガバガバ空いていますから」
「ほぉ~、閃貴はまだツネられたいのね」
「フフフお二人の邪魔をしちゃってゴメンね。私、先に帰るわね。じゃっ!」
正木さんは、右手を軽く上げて、昇降口から足早に去って行った。
あぁ、一緒に帰るチャンスを逃してしまった……。残念。
「閃貴、アンタなに残念そうな顔しているの?」
相変わらず鋭い女だ。
「そんな事ないだろう。気のせいだ。俺たちも帰ろうぜ」
「ふ~ん」
昇降口ですったもんだはあったものの、取り合えず俺達は家へと帰り始めたのだ。
● ● ●
バスを降りて、自宅へ向かって歩いていると、雲が薄くなった場所から、太陽が覗き始めた。
どうやら、そろそろ雨はやむらしい。
そんな空を見ていると、ふと、ヱルと過ごした幼稚園時代の思い出がよみがえった。
「せんせー、雨やまないね」
「そうね。今日はお外でジャガイモ植える予定だったのにね。そうだ。じゃぁ、みんなに問題です。雨がやむとどうなるでしょう?」
突拍子の無い質問ではあったが、幼稚園児には教育上いい問題なのだろう。
今なら、先生がどんな気持ちで問題を出してきたのか、何となく分かる。しかし、当時の俺は「アホかそんなの」、と冷めた答えを出す、ひねくれた少年だった。
「先生、はーい! はーい!」
「はい、ユウ君」
「太陽がでまーす!」
「そうね。太陽が顔を出してくれますね。他にはありますか?」
「先生、はーい!」
「はい、ココちゃん」
「ジャガイモが植えられます!」
「そうね。ジャガイモ植えたいよね。他には何かあるかな?」
「はーい、水たまりができます」
「はーい、泥遊びが出来ます」
そんな風に、クラスメイトは次々に意見を出した。
しかし、しばらくすると、所詮は幼稚園児、すぐに意見が出尽くしてしまった。
そう、みんなの手が上がらなくなったのだ。
……もう、意見を出す者はいないだろう。
周りを見て、ひねくれた俺はそんな事を考えた。
しかし、次の瞬間、予想に反して、ヱルが元気よく手を上げたのだ。
「先生、はーい! はーい!」
「はい、ヱルちゃんどうぞ!」
冷めた俺は、ヱルの意見など分かり切っていた。どうせ他の子が出したものを聞いていなくて、もう一度同じ事を云うに違いない。
捻くれた俺は、そんな事を考えていたのだ。
しかし、ヱルは、そんな俺の心など知らない。知る由も無い。
ただ、元気に、無邪気に、バカみたいに答えるのだ。
「はーい! 先生! え~っとねぇ。虹が出ます!」
……にじ?
何を云っているんだ、こいつは。
ヱルの意見を聞いた瞬間、俺は、虹なんて雨が上がったからと謂って、必ず出るものでは無いと発言を心の中でバカにしていた。
しかし、今にしてみると、この発言に心が動かされた。いや、ヱルと謂う人物に興味が出た瞬間だったのかもしれない。
なぜならこの後、それはそれは、絵に描いたような大きな虹が窓から見える事となったのだから。
あるかもしれない事を信じる。願う。
そう謂った前向きな心は俺は持ち合わせていなかったからだ。
きっと、この頃からだっただろう。俺が少しずつヱルに魅かれ始めたのは。
――懐かしい思い出だ。
そして、幸か不幸か、その時の彼女はまだ俺の目の前にいる。
「……なぁ、ヱル」
「なに?」
「雨が上がったら、どうなる?」
「雨? はっ、そんなの決まっているじゃない」
そいうと、ヱルは傘を閉じて、太陽と逆の方向を指差した。
そして、空に大きく描かれた光の半円を背に、ドヤ顔で俺の前に仁王立ちをする。
「虹が出るのよ!」
ククク。相変わらず変わらないな。
俺は、この笑顔を、いつまで近くで見ている事が出来るんだろう。
そんな事を考えながら、俺は傘を閉じた。
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