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011 一回だけでもいいですか?
俺は、稲垣美緒と共に駅前のトドールカフェに来ていた。
「閃貴、なぜトドール?」
トド顔がロゴになっているカフェは、客の年齢層が少し高い。
「いゃ、ちゃんと話をしようと思ってな。呪文の様に、何とかマシマシ・フラペチーノとか飲みたい気分じゃぁ無かったのでね」
「……閃貴……1つ云わせてもらうと、何とかマシマシは二郎系ラーメンよ」
「……まっ、細かい事は気にするな」
俺はブレンドを注文すると、店の最奥の席を確保して、稲垣さんと向かい合って座った。
「……さて、稲垣さん。付き合う云々の前に、俺の疑問に答えてもらってもいいかな?」
稲垣さんは、目をぱちくりさせながら、カプチーノを口に運ぶ。
そして、一口飲んで一呼吸あける。
「どうぞ。何でも聞いて。閃貴にならスリーサイズも教えるよ」
しかし、そう話す稲垣の目は笑っていなかった。
これから、何を質問されるのかに怯えているのかが、手に取る様に分かる。
スリーサイズと、冗談を口にするのが、せめてもの抵抗なのだろう。
「いゃ、別に、そんなに固くならずに聞いてもらいたいんだ。なぜ、というか、そもそも俺と稲垣さんに接点なんて、殆どなかったかと思うのだけれど」
そう、俺と彼女の間に接点と呼べる接点はない。
つまり、惚れられる要因が見当たらないのだ。
クラスも、部活も別。同じ中学でもなければ、共通の友達も殆どいない。
ましてや、彼女がピンチの時に助けたと謂った、ラブコメ展開にあっては、皆無だ。
全くもって、好かれる理由が、見当たら無となれば、考えられる事は限られてくる。
そう、美人局だ。まっ、そこまで行かなくとも、それに似た行動を取ることは、充分に考えられる。
「ふぅ」
稲垣さんが息をつく。
そして、もう一度カプチーノを口に運ぶ。
「えーと、私が、なぜ閃貴を好きになったか……だったわね」
「あぁ、そうだ。一目惚れとか、納得の行かない答えなら、分かれさせてもらう」
俺は語気を強めた。
「そうね、結構色々あるのよ。一番初めは、平均台を片付けるときね」
「平均台?」
「そう。私って体操部じゃない」
「……そうなのか?」
「……むぅ。そうなの。彼女の部活くらい知っておいてくれるかしら?」
「……面目ない」
「……ふふっ。そう云うところよ。知らなくて当たり前なのに、謝れる。だから、閃貴と一緒にいたいのよ」
「……? 良く分からん。で、体操部がどうしたんだ?」
「四月の終わり、用具の片付けって一年生の仕事なんだけど、色々あって私以外みんな帰っちゃったのよ。で、私もうっかりしていてね、平均台って一人で運べない事に後で気がついてね……」
そこまで話を訊いて、俺もやっと思い出した。
体育の授業の時、体育館倉庫にバインダーを忘れたので、取りに戻ったんだ。
そうしたら、何か困っていた稲垣に出くわしたんだ。
「あぁ、あの時な。確かに片付け手伝ったわ。でもそんなので、好きになるか?」
「そうね、それだけじゃ好きにならないわ。実際私もその時は好きになってないしね」
「……それじゃぁ何故?」
「その後も、ちょくちょく助けられたからよ」
「……いゃ、覚えがない。人違いだろ?」
そう、俺には稲垣を助けた記憶がない。
つまり、本当に親切な人が告白されるべきであり、その人は損をしていると云うわけだ。
俺は、そんな他人の親切を、自分の功績にするつもりはない。
「そうかなぁ? 思い出して見てよ。自転車のチェーンが外れて、困っていた私を助けた事ない?」
……ある、あれお前だったのか……。
「部活で足くじいて、帰宅するのに困っていた私に、ハンカチで足固定して歩けるようにしてくれた事ない?」
……ある、あれもお前か……。
しかし、その両方とも、ある重要な事が抜けている。
チェーンが外れているのを見たとき、俺は一人で居たわけでは無かった。そう、横にはヱルが居たのだ。そして、チェーンが外れている彼女を見るなり『閃貴、あんた助けてらっしゃい!』と、尻を叩かれて、渋々チェーンを治した。
また、ねん挫をして足を引きずりながら歩いている彼女を見かけた時も、同じく横に居たヱルが、『あんた、三角巾できるでしょう! お弁当に使っていたバンダナでいいから、それで固定してきなさい!』と、同じく尻を叩かれてしぶしぶ治療した。
つまり、両方とも俺がやってはいるものの、やらせているのはヱルなのだ。
俺は頭を抱え込んだ。
「……あ~、稲垣さん。確かにその2つは俺がやりました」
「そうでしょう。やっぱり閃貴がやってくれたのであっているよね。閃貴はやさしいなぁ~」
「落ち着いて聞いてくれ。確かにやったのは俺なのだが、やらせたのは、両方ともヱルだ」
「……ヱルちゃん? なぜ?」
そして、俺は事のいきさつを話した。
「……なるほどね。まぁ、でもそこで素直に行動できる閃貴は凄いよ。だから私はやっぱり閃貴が好き!」
「……すまない。それだと俺の気持ちが納得いかないんだよ。だから……」
「じゃぁさぁ、閃貴が納得いかなかったら、いつでも別れていいから。だから一度私と付き合ってよ」
「いゃ、でも」
「……それでいい。多分私にとってこれが最初で最後のチャンスだと思うんだよね。だから、閃貴が納得するタイミングで別れていい。ダメかなぁ」
そう云いながら、稲垣は上目使いをしながら両手で、カプチーノを持つ。
くぅぅ、かわいい。
リスか? 小動物アピールか!
このあざとさが、俺にNOと云わせなくしている。
頭では分かっているんだ。これが彼女の技である事は。だが、どうだ。俺の口からこんな彼女に「いいえ付き合えません」って云えるか? 否、断じて否だ。
また、条件が良すぎる。俺の気持ちで別れていいとか、そんな条件あるか?
キープ彼女に自分から成りに来ているんだぞ。
……だが、きっと俺は流される。
俺に彼女をキープと謂うポジションに置いておけるか? 否、それも断じて否だ。
俺は彼女を絶対に補欠として置いておけない。絶対に、レギュラーポジションに据えてしまう。……くっ、となると、残念だが、ここは心を鬼にして断ろう。
「あっ、あのさぁ、稲垣さん」
「はい」
「やっぱり」「一ヶ月だけでいいんです」
俺が話しを最後まで終える前に、彼女は言葉を被せて来た。
「一ヶ月だけでいいので、私と付き合ってください!」
彼女が俺の両手を掴み、ぐっと顔を俺の顔に近づけて来た。
「……はっ、はい」
「やったぁ! じゃぁ、私と閃貴は今日から彼氏と彼女の仲ね!」
「……あっ、えっ、はい」
しまった、つい、彼女の圧に押されて、押し切られてしまった。
そして、梅雨が明ける頃、俺は稲垣美緒と、付き合う事となったのだ。
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