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029 どっちにするの!?
9月になっても、暑いな……。
少し遅い放課後、閃貴は、校舎をつなぐ渡り廊下を1人歩いていた。
所要により、理科準備室まで、備品を取りに行かなくてはならなかったのだ。
「ここに着た瞬間、どっと汗が噴き出るな……」
西日が注ぎ込む渡り廊下は、窓を開けられているわけでもなければ、エアコンが効いているわけでもない。熱されたその空間は、サウナにも匹敵する程に、暑かった。
閃貴の首筋には汗がしたたり落ちる。それをハンカチで拭きながらも、渡り廊下の中央まで歩いてきた。……と、その時、正面に人影が現れる。
……あの姿は……美緖だ。
「あっ、閃貴……」
美緒も閃貴に気が付いた。
大きく手を振る彼女の目の色は輝いていた。満面の笑顔と大きく手を振る彼女は、まるで幼稚園児を彷彿させる程にかわいらしい。
そんな彼女は閃貴に近づこうと、渡り廊下へと足を踏み入れる。……いゃ、踏み入れようとした。
そう、彼女の足は、渡り廊下に侵入する手前で止まってしまったのだ。
その原因は閃貴……ではなく、その後方に突如として表れた人物にある。
「……ヱ……ヱルちゃん……」
閃貴は、その声に反応して、後ろを、振り替える。
すると、スクールバッグを肩からかけたからヱルが、2人を見ながら立っていた。
「……あっ、私は、ただ教室に忘れ物を取りに行こうと思って……」
ヱルも、罰の悪いタイミングに出くわしたと、内心慌てふためく。
だが、それは、美緒と閃貴にしても同じだ。
3人の間には、張り詰めた空気が流れだす。ただでさえ熱い渡り廊下の気温が、更に上がった気がした。
そんな中、一番に口を開いたのはヱルだった。
「それじゃぁ、私は、これで……」
髪を無意味にかきあげる彼女は、スッと2人から目線を反らす。
横を向いて、一歩前に足を踏み出す。
「待って!」
だが、ヱルの横顔に、語気強めの声が突き刺さる。美緖が、ヱルを引き留めた。
ヱルもその声に反応して、再び美緒を見る。……が、その表情は険しいに近いが、何かおかしい。
どちらかと謂えば、何か覚悟を決めた……そんな表情だ。
そんな美緖の拳は強く握られ『ギリッ』と音を立てる。
「……私……2人に云っておかなくてはならないことがあるの!」
美緒の額には、沸々と汗が滲み出す。滴る汗は、噛み締めた唇から顎先へと流れ落ちる。
そんな美緒の顔を、閃貴は見つめる。
場の空気がガラリと変わり、閃貴の喉は、急激に乾燥する。
だが、いくら喉が渇こうが、この空気では、聞かずにはいられない。いゃ、聞かなくてはならなかった。
閃貴は美緒を見つめる。
「……美緒……云わなくてはならない事とは……?」
無理やり声帯を震わせたその声は、墨が切れた筆の様にかすれていた。
「……それは……」
閃貴の声に、美緒は、うつむく。
覚悟を決めたつもりだが、言葉が出ない。私の覚悟など、所詮『つもりだったのか』と自分で自分が情けなくなる。
握り締めた拳が、ワナワナと震えている。
……云え……云え私。
自己暗示をかけて、1歩右足を前に出す。
「ふぅ……」
美緖が、短く息を吐くと、顔をあげた。
「実は私、2人を騙していたの……」
突如のカミングアウト。だが、意味が分からず、閃貴とヱルは、顔を合わせる。
「「騙していた? 一体それはどういう意味?」」
2人の声が重なる。
美緒の焦点はヱルに定まる。どうやら2人と云いながら、実際に用があるのはヱルであるらしい。
美緒は更に1歩足を前に出すと、右手を胸に当てて、左手を開く。
「ヱルちゃん……実は私、閃貴を好きになった時、ヱルちゃんがとても邪魔だった」
「……邪魔?」
「だって……ズルいじゃない。可愛くて……、性格も良くて……、閃貴の幼馴染みで……」
美緒の瞳から、ホロリと雫が落ちた。
その雫は、蟻の一穴だったのかもしれない。堤防が崩れる様に、1粒の涙は、美緒の涙腺を決壊させた。
「私には……私には、2人の間に入る隙がなかった! それこそ、髪の毛1本が入る隙すらも……。でも……それでも諦め切れなかった。好きという、この感情を抑える事は出来なかった! 私は閃貴が好き! 誰にも取られたくないって!」
美緒のあふれ出る想いが、渡り廊下に反響する。
鼻水交じりの泣き声は、彼女の本心であると、誰もが理解する。
だが、美緒は言葉を止めない。
「そんな譲れない思いが、私の心を締め付けた。……だから私は……私は策を練ったの!」
「……えっ!」
「……策?」
ヱルと閃貴に、驚きの表情がはしる。
「……そう。最初から閃貴がヱルちゃんを好きなのは知っていた。だから私は、閃貴に対して、期限付きの彼女にしてもらうように提案した。人は、期限があると、受け入れやすいから、私はそれを利用したの」
閃貴は、美緒が告白してきたときの事を思い出す。
「そうか、それでか。美緒が、俺に期限付きの彼女提案をしてきた理由は」
「えぇ、そう。でも、これで終わりじゃない。私は次に、期限が切れる瞬間に、木村先輩をヱルちゃんに告白させた」
「えっ!」
驚きの声を上げると共に、ヱルの目が大きく開く。
「ちょっとまって……じゃぁ、木村先輩が私の事を好きって云ったのは、ウソなの?」
「いぇ、木村先輩がヱルちゃんの事を好きなのは本当よ。でも、私の時と同じで、期限付きで付き合わせた。しかも、閃貴と別れる直前に……」
閃貴は夏休み前の事を思い返した。
あの日は、美緒との彼女契約を継続するか否かを決める日だった。だが、美緒とは彼女契約を破棄しようと心に決めていた。そして、その断りの言葉を告げようとしたそのタイミングで、ヱルが木村先輩と付き合うと聞かされた。
俺は、ショックのあまり自棄になり、美緒と付き合う事を決めた。
「……そうか、あのタイミングは、美緖が作り出したものだったのか。ドンピシャのタイミングだったけど、全て計算の内だったんだな」
「そう、全ては私の策略。あなた違2人の間に亀裂を入れて、見事に入り込んだの。……閃貴、ゴメンね。幻滅したかしら?」
閃貴は、口をつぐむ。
だが、今度はヱルが手を広げて、足を一歩前に出す。
「美緖ちゃん、それなら私も同じだよ!」
ヱルのまさかの言動に、今度は美緒が驚く。
「えっ! おなじ?」
美緒の背筋が伸びる。
だが、ヱルは言葉を続ける。涙腺に若干の涙を溜めながら大きく手を広げた。
「私も……私も、閃貴の気持ちを知りながら、閃貴の告白を断ったの。だって、閃貴が私以外の誰かに靡くなんて、絶対にあり得ないって高を括っていから……。私は悪い女……閃貴を試したのよ」
沈黙が流れる。
美緒も、閃貴も言葉を発する事が出来ない。そんな重たい空気だ。
ただ、ヱルだけが、涙ながらに美緒に訴えた。
「……だから、だからね美緒ちゃん。閃貴の心に傷をつけたのなら、私も同罪よ!」
ヱルは、心の内をぶちまけた。
自分の醜い部分をさらけ出すことにより、少しでも贖罪の気持ちを示したかったのかもしれない。
そんな2人の思いを閃貴は黙って聞いていた。
渡り廊下の中央にいる閃貴。その両端にはヱルと美緒。
ステレオで聞こえる、彼女たちの心の声。それら全てを心に刻む。
俯く閃貴に、美緒は声を掛ける。
「……さっ、閃貴。これが最後の選択。選んで……私か、それともヱルちゃんか……。騙す様な手口であなたに近づいたのは謝る。けど、それ程まで閃貴の事が好きなのは本当よ」
「私も、閃貴が好き。昔から閃貴が好き。他の女性と一緒にいる閃貴は嫌! ……とても嫌。閃貴の横には私がいたい。だから……私を選んで……」
左右から閃貴を求める声が発せられた。
だが、選べるのはどちらか一方。今、閃貴は、決断を迫られていた。
「さぁ、閃貴! これが最後の選択よ」
「付き合う方に、渡り廊下を歩いて来て。逃げ道はないわ……」
閃貴は美緒の顔を見た後、ヱルの顔を見る。
すると、スッと男の顔付に変わった。強い意志を持っている、決断をした男の顔だった。
「分かった、決めたよ」
西日が差し込む渡り廊下に、今、コインが投げられた。
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